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ポメラ日記106日目 執筆者のためのチューニング

 文章を書くためには、チューニングが必要じゃないかって思っている。

 チューニングっていうのは、オーケストラで言うところの調律で、ヴァイオリンだとG、D、A、Eの4本の弦のうち、A(=ラの音)を442Hz(ヘルツ)に合わせること。それからペグを回して、D、G、Eの音を合わせて、曲を弾けるようにする。

 なんだけど、これって書くときにも大事じゃないかな。

 文章を書くときに、どうも気が乗らなくて、とか、小説は書きはじめるのがむずかしい、とか、原稿が進まない理由はいろいろある。

 端的に言うと、調律ができていないと文章が書けないっていうのが一つある。

 書き手のことは楽器だと考えてみると分かりやすい。

 たとえば、文章を書くために「机の前に座る」という動作がある。これを「調律」として考える。

 仮に一日のなかで「机の前に座る」ことができれば、文章を書ける確率は高くなる。

 もの書きへのアドバイスでよくあるものに、とりあえず「椅子に座れ」っていうアドバイスがある。

 これは自分が文章を書ける状態に持って行く「チューニング」だと考えるといいかもしれない。

 オーケストラの楽器ってべつにチューニングしていなくても、音そのものは出る。でも、それだと一音目からひどい音が鳴ったり、音階のある曲は演奏できないし、とても鑑賞に耐えられる音楽にならない。

 ある日、あるとき、ある場所で演奏会をやりますから、来てくださいねっていう風にやりたいなら、楽団で何十日も前からリハをやって音合わせをする。

 演奏前の日常の段階から、弦を弾いて降ろす瞬間に持って行くには、ちゃんとホールの席に着いて指揮者のタクトが上がる瞬間をしっかり見ていなくてはならない。

 書くことについて語るには、

 ①書く内容、つまり書き方の話
 ②書く前の段階の話

 があると思うんだけど、これは②の書く前の段階の話。

 僕は仕事で午前から午後にかけてライティングをやっている。

 始業前に、作業場となる自宅のアパートを掃除したり、お茶を淹れて簡単な朝食を採り、仕事用のPCを起動させて、Wi-Fiのスイッチを入れて、Wordを開いて……。

 とやっていて、このひとつひとつの所作が、仕事をはじめるための「調律」だと思っている。

 もちろん僕はパート要員のしがないライターなので、誰も僕の書くものなんか気に掛けやしないかもしれない。

 でも、僕にとって「書くこと」は十年くらいやってきた、当たり前だけど特別なこと。表現するための唯一の手立てと言ってもいい。

 文章って書く前に、キーでタイプする直前に、あるいはそのずっと前から、内容が決まってしまうんじゃないかと思っている。

 ひょっとすると、②の書く前の段階は、①の書く内容にも繋がっていて、響いてくるんじゃないか。

 たとえば、「だけど」とか「しかし」とか、逆接の接続詞を無意識に繰り返してしてしまうときがある。

 そういうとき、僕の場合は、決まって体調が優れなかったりする。前日にちゃんと眠れていなかったり、心配事があってネガティブなことが頭をよぎったり。

 翌日に文章を読み直してみると、自然な言葉の流れになっていない。

 逆接の接続詞を使いすぎるのは、自分のことを「守りたい」「隠したい」という心理が働くからかもしれない、と推測している。

 逆接は、前提や前置きの文章がないと成立しない。つまり「建前」がないと、その文章は成立しなくなる。

 大抵は、前に置かれた言葉は言い回しの問題に過ぎなくて、後の言葉を言いたいために捨て置かれる。

 チェスで言うところの「サクリファイス」(弱い駒を捨てて大駒を狙いに行く、あるいは展開を有利にするために犠牲になる駒の動き)と同じ。

 文章の「だが」とか「しかし」「だけども」が言葉として活きてくるのは、ひっくり返した方が面白くなるときで、それは読者というか、作者本人も予期していなかったこと、つまりちゃんと「大駒」を取れていることが、逆接のいい使い方だと思う。

 サッカーでボールを持って一対一のドリブルをしている時に似ている。

 抜き去りたかったら、相手の逆を突かなくちゃならない。左に行くと見せかけて、左脚を大きく踏み出して右、右サイドに出ると見せかけて、左の中央に切り込む(マシューズフェイント)。

 ディフェンスには「軸足」があって、よほど巧いやつでないかぎり、どちらかの脚に重心が偏る。軸足になった片方の脚はそれ以上大きく動かすことはできないので、その隙を突いて、軸足側に向かってボールを蹴り出す。 

 文章も同じで、作者以外の誰もが左に行く、と思う場面で、右へ行かなくてはならない。

 キックフェイントで相手を引っ掛けることができるのは、そのフィールドで誰もそこでキックフェイントを打つとは思っていない瞬間に、キックフェイントを打てるやつだ。

 僕が面白いと思う文章は、そういう類いのものだ。読みうるかぎりのすべての読者の逆を突いて、裏のスペースへ抜け出して、思いも寄らなかったことを語りはじめる。その瞬間が見たいと思う。

 いちばんいいお手本が、サリンジャーの「バナナフィッシュ」で、あれより巧い読者の抜き去り方を僕は知らない。

 初見では誰も繋がりを読めないし、五十年以上経っても謎がすべて解明されない。でもあの物語が美しいっていうことは、読めばはっきりと分かる。

 話が逸れたので戻すと、何かの行為に入る前の「チューニング」って誰もが意識しないうちにやっている。

 僕の場合、在宅のライティングをはじめる前に、デスクの下を掃除する。作業中に疲れたら立ち上がって紅茶を淹れる、クッキーを食べる、お手洗いを済ませる、昼食は近所の弁当屋まで歩く。

 そういった一つひとつの動作の連続が、次に書くものを決めている、と思っている。

 オンからオフに切り替えるための「ゆるめる、ほぐす」ことも必要で、これはリラックスするためのチューニング。

 在宅の仕事が終わったあとに、

 ①必ず一日一回外出して、外の空気を吸うこと。
 ②喫茶店で本を読んだり、コーヒーを傾けながら考えを巡らせること。
 ③少し遠い道のりを散歩しながら、頭を空っぽにしていくこと。
 ④気が向いたら書店に立ち寄ったり、あえて寄り道をすること
 ⑤毎日、違う店に行き、違う道を歩くこと

 こうしたことを自分のなかに習慣づけている。

 とくに在宅の場合、1日1回は、外の空気を吸って街中を歩くことが重要で、そうでないと文章が捗っても、周囲とのズレを感じやすくなって、結果的にメンタルをやられてしまう。

 人間の「やる気スイッチ」ってたぶん電灯のパネルみたいな分かりやすい形じゃなくて、作業中のどこかのタイミングで神経の歯車が噛み合ったときに、発火すると思っている。

 僕にとっては、「机上のものをすべて片付けて、ポメラの画面を開くこと」が「ポメラ日記」を書くきっかけになっていたりする。

 書きたいネタも、書きたい順番で書くのがいちばんいい。

 今回の記事ではあれを出そう、これを出そうと引き出しのなかを整理してから小出しにしていく書き方は、自然な書き方にはならない。

 小説みたいにある程度まとまった分量が必要で、作品として見せたい場合は、しっかりと引き出しに材料をしまっておく必要がある。

 雑記やブログ記事を書くだけなら、書きたいものがひとつ見つかっていれば十分。

 結論を言うと、原稿に着手できないときは、自分自身を書く体勢に持って行くための「チューニング」方法を知っていると、進捗は変わってくるよ、という話でした。

 僕自身も、「書きたい衝動」があるときにばーっと書いちゃうタイプなんだけど、そういう書き手ほど、書くための「マイルール」があると、執筆に着手しやすいかもと思います。

 書くことは、書く前からはじまっていて、きっかけを自分で用意できれば、文章を書く練習はできるんじゃないか。

 今日はこの辺で。

 2025/02/18 15:46

 kazuma

もの書きの余談:

US版のポメラが発売されたそうです。日本国内での販売はなく、あくまでも米国のライター向けのモデルだそう。US配列で英文で小説を書いていたらめちゃくちゃ格好いいな。米国でポメラニアンの誕生が待たれる。原稿はpomeraで書きましたって言ってね。

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