ポメラ日記85日目 祝日の青鷺
今日は祝日だった。街は家族連れや学生でにぎわっている。どの通りを歩いても連れ合いがいる。隣町まで歩いた。喫茶店はあいにくと満席で、どこを見渡してもひとりものの席はなかった。まして僕のための座席はなかった。店の入り口から入って、軒先で踵を返した。学生達の笑い声が背中で響いている。ただコーヒーが飲みたかった。それだけだった。
堤防の橋を渡ると、アメリカ雑貨の店があった。「ONE WAY」という看板が立っている。一方通行の標識が立っているが、そこはただの駐車場で、どちらかというとその標識は「PARKING ONLY」と書いた方が正しかった。派手な車や大型のランドクルーザーが所狭しと並んでいる。なるほど、祝日には違いない。
その店に訪れるのははじめてではなかった。引っ越した先で、暇を持て余した昼下がりの午後にちょっと足を伸ばしたのだ。ガレージ風のドアを開くと、見たことのない家具や雑貨が所狭しと並んでいた。継ぎはぎの革のポーチ、ウォッシュデニム、置き時計には車のタコメーターの目盛りが付いていた。
はじめて店に来たとき、客は僕だけで、まるでアメリカ風遊園地のなかを一人で歩いている気がした。ダストボックスの蓋を触ってみたり、時計に嵌め込まれた内ガラスの反射を眺めてみたり、いくつも並んだミラーの前を横切った。
値下がり(ちゃんと「PRICE DOWN」と書かれてある)したアウトドア風のワークシャツが欲しかったが、手持ちの財布には千円札が数枚しか入っておらず、また今度来るつもりで、値札だけを引っくり返す。
ウィスキーの小瓶と小さなグラスは照明を反射して、遠目に見ても綺麗だった。が、僕が手に取ることはおそらく一生のうちに一度もないだろう。こういうのはたぶん、カポーティやチャンドラー、フィッツジェラルドの片手に収まるのがいいのだ。そのあと、僕はポーチのチャックを意味もなく開けたり閉めたりして、革のざらざらとした感触を指の腹で確かめたりしていた。紛れもなく店にとってどうでもいい客だった。
もしこの店にずっと一人でいてもいい、誰も客が入ってこないし店員もいないというのなら、僕は夜中まで棚をうろうろしたかった。傷だらけのヴィンテージ風のチェアは、ほんとうに誰かが使い込んでヴィンテージにしたのか、それとも、ショップの倉庫でスタッフが夜な夜なノコギリで溝を付けてヴィンテージ風の椅子に仕上げたのか、そんなどうでもいいことばかり考えていたかった。陽が暮れたら、お店の商品棚からランタンをかき集めてきて、ひとつずつ明かりを灯し、階段の脇に無造作に置かれたディスプレイブックのタイトルだけを見て、その中身を想像する。お腹が空いたら電源の入っていない冷蔵庫の扉をやたらと開け閉めして貧しい作家のふりをし、その上に原稿用紙を載せて、トマス・ウルフは何て大男だったのだろうと思いつつ、升目ひとつ埋めないまま、直打ちのコンクリートの床に寝そべっている。棹に掛かったまま売れ残っているワークジャケットを布団代わりにして、どうしてひとりぼっちに生まれつくやつと、そうじゃないやつがいるのかを考える。それからどうでもよくなって、二階の窓を開け放ち、すぐそばの川辺で一匹の青鷺が背筋を伸ばし、力強く水面の上をいつまでも飛んでいたことを思い出す。昼間に見たあの青鷺の翼は、水面のほんのすぐそばを飛んでいたのに、その羽根は一度も水しぶきを上げなかった。落ちることなんてまるで考えていない、自分が向こう岸まで飛べるってことをちゃんと知ってる飛び方だった。その翼が影になるまで、僕はただ橋の上を歩き、ばかの一つ覚えみたいに青鷺の行く末を目の端で追った。青鷺は一度も川辺に降り立つことなく、僕は橋を渡り終える。十字路を直角で別れたら、もう二度と出会うことはない。僕みたいなひとりぼっちのやつはこの街のどこにもいない。青鷺があんな風に飛んでいったのを覚えているのは、まだそれが視界のうちにちらついているのは、ずっと文章をタイプしているのは、水面の上を裂いて飛ぶその翼がきっとまだこの街のどこかで飛んでいるからだ。
二度目に店に訪れたとき、既に客は一杯で、僕は足の踏み場もなく、ポーチの革に触れることも、階段脇のディスプレイブックに目を遣ることもしなかった。欲しかったワークシャツは、既に誰かが買っていて「PRICE DOWN」の値札は消えていた。置き時計の針が目盛りの間を進んでいく。
そこはもうアメリカ風の遊園地ではなく、僕の空想の遊び場でもなく、祝日に立ち寄るにはちょうどいい、気の利いたアメリカ雑貨のお店に戻っていた。ヤンキー上がりの五分刈りの男と、髪の毛を金や紫で染めた女が、マグカップやTシャツに触れながら、幸せそうにどうでもいい話をしていた。僕が歩くと、彼らの道を塞ぐことになるので、四度くらい店の中で鉢合わせてから、もういいかと思った。連れ合いのいる人のそばを歩くとき、僕はいつも野暮だった。歩き方を知らない、人の形をした街の影になる。
帰りしなに鏡をひとつ買った。それから河川敷沿いの道を歩いて帰った。青鷺の姿はもう見えなかった。
2024/10/15
kazuma
もの書きの豆話:日記のつもりで書いたら、いつのまにか日記風の文章になった。とてもわがままな書き方をした。半分はほんとだけど、半分は嘘も混じってる。昔、堀江敏幸さんが書いた「灯台へ」という本を読んで、実話と思って読み進めたらフィクションだったと知って見事に騙されたことがある。あの騙され方はとても気分がよかった。嘘と現実の境目があやふやになって、面白ければそれでいい。もっとわがままな書き方がしたい。
もの書きのkazumaです。書いた文章を読んでくださり、ありがとうございます。記事を読んで「よかった」「役に立った」「応援したい」と感じたら、珈琲一杯分でいいので、サポートいただけると嬉しいです。執筆を続けるモチベーションになります。いつか作品や記事の形でお返しいたします。