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若者のすべて

IAMASの卒展で、自己帰属感に関する制作研究をした出展者と平井靖史先生の話をちらっと交わし、家で「世界は時間でできている──ベルクソン時間哲学入門」をぱらぱらとめくった次の日、友達の結婚式に行った。

昔の思い出話を何度も繰り返すのはダサいよな、と斜に構えた気持ちになったこともある。それぞれがそれぞれの人生を生きているから、たとえば仕事や子どもの話をしにくく感じていたこともある。

でもなんだか、今はそういうモードではなくなった。平井先生のベルクソン入門は、そういうエモい読み方をするようなものではないのだと思うけど、自分たちは複数の時間を生きているから、歳を食って白髪が混じっても、学生のときの友達とは、学生のときと全く同じありようでやりとりを交わすのだ、と思った。

お互い変わらないね、というやりとりと、ちょっと太ったやんな、というやりとりが同時に交わされる。
薄いレイヤーを重ねていくように、記憶が折りたたまれていく。透かしてみせたり、付箋のついたところを取り出して眺めたりするような日で、すがすがしい気持ちがした。

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