ナポレオンはなぜ人々に美しく記憶されているのか?
昨日stand.fmで『なぜ「あたかも凄そうに見せる」必要があるのか』というテーマで話をしました。凄そうに見せるのには、必要性および理由があるという話です。自分がそのためにしてきたことなども触れているので、ぜひまだの方はこの記事を読む前に聞いて頂ければと思います。
SNS時代には、何をするにもついてまわるテーマだと思うので、もう少し深掘りをしていきます。
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ナポレオンと聞いて、この有名な絵画『ベルナール峠からアルプスを越えるボナパルト』を思い浮かべる人は多いと思います。
しかし、ナポレオンが皇帝になる前に、画家ダヴィットに書かせたこの肖像画、実は「彼を描いたものであって彼を描いたものではない」と言えます。
彼の本当の姿は、こちらに近いと言われています。
少なくとも同一人物には見えません。1枚目の肖像画の方が、より英雄らしさと、勇敢さを感じます。ではなぜ、私たちの記憶には『ベルナール峠からアルプスを越えるボナパルト』が強く刻まれているのでしょうか?そこには、彼が意図して行っていた「イメージ戦略」がありました。
肖像画の役割
「肖像画は本人に似ている必要はない。絵に描かれる必要があるのは、人格だ。才能がそこに息づいていることが大切なのだ」—— ナポレオン・ボナパルト
本人がこう語るように、あの白馬に乗るナポレオンの肖像画は「本人に似ている必要がなかった」のです。彼は肖像画を、自身の帝位と帝国の「イメージ作り」に利用しました。まるでWEB広告などでイメージをつくっていく、現代におけるブランディングのような話です。
ダヴィットはこの絵の複製を少なくとも4枚製作し、弟子たちにも数枚製作させています。その結果、この肖像画は誰もが知る英雄ナポレオンのイメージとして定着しました。このイメージが、皇帝になる際の国民投票で有利に働かなかったわけがありません。まさに現代の政治家のポスターにもつながる、イメージ戦略の先駆者だったのです。 ——世界のビジネスエリートが身につける教養「西洋美術史」木村泰司より
このイメージ戦略が彼のキャリアを構成していた一つの要素であることは、間違いなさそうです。
ナポレオンから、私たち(スポーツ業界・サッカー監督など)が学べることは一体何でしょうか。学ばなければならない、と言っても過言ではないと思います。
現代における肖像画
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