手で書くことによる効能
頭で考えるのと、手で書くのだと、後者の方が圧倒的に面倒な作業なので、何かの答えを導きたいときや、あるいはそもそも何を問うているのかを明らかにしたいとき、私はめんどくさいけど手で書くようにしています。
私たちのようなサッカー畑出身の人は、ほとんどが少年時代に「サッカーノート」たるものを書いていて(あるいは書かされていて)、そこには確かに「手で書くことによる効能」があったなと、今になって思います。私の場合サッカーノートを書かなくなってから(=サッカーを辞めてから)、考える作業と一緒に書く作業をすることは、ほとんどなくなってしまいました。
それからしばらく経って、何かの本がきっかけだったか、あるいは別のことがきっかけだったか忘れてしまいましたが、あまりにも頭で考えていることが宙に浮いている感覚があったので、別に何かを期待してはいなかったけれど、試しに紙に箇条書きにしてみました。すると、宙に浮いていた事柄が、地に足をつけたのです。何かがモヤモヤして、辛いとか、わかんねえとか、苦しいとか、そういった感情が一気に落ち着きを放ち、心が楽になったのを覚えています。
それから私は事あるごとに「手で書くことによる効能」を思い出し、「めんどくせえ」と思いながらもペンを手に取ります。頭の中で箇条書きにするのと、手で紙に書いて箇条書きにするのとでは、私の経験値から言えば雲泥の差があります。
例えば頭の中で、“すごく明確に”3つのことを箇条書きにしているとします。
自分としては(頭の中では)何一つ曖昧じゃないから、これを紙に書こうが書きまいが、同じように思います。ただし、それを紙に書いて視覚的に見ることで、その3つのことを観察することができ、すなわち、3つのことに対して「だからどうした?」という感情を持つことができるのです。3つのことを一度書いた(そこに置いた)ので、別の次元に思考を巡らせることができるようになります。
「だからどうした?」と思う場合には、2つのパターンがあります。
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