
『僕とデザイン』 仲條正義|「デザインは遊びだ。野暮や退屈になったらおしまい」
※『視録的運動』ではデザインや芸術、ブランディングなどにまつわる本を、ランダムに紹介していきます。
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仲條正義(なかじょう・まさよし)
1933年東京生まれ。東京都芸術大学美術学部図案科を卒業後、資生堂宣伝部などを経て、1961年に中條デザイン事務所を設立。資生堂の企業文化誌『花椿』のアートディレクターを40年以上務めたほか、資生堂パーラーのパッケージや松屋銀座、東京現代美術館のロゴなどを手がけた。98年に紫綬褒章、2006年に旭日小綬章を受賞。2021年10月26日没。
この本は、編集スタッフが仲條さん、またはその関係者に取材したものをまとめた口述自叙伝です(=仲條さんが執筆したものではない)ので、人々の解釈が色濃く反映されている本だと言えます。
写真家のホンマタカシや歌人の穂村弘など、仲條さんをよく知る人物が仲條さんとのストーリーを語る「仲條正義と私」という企画が間に挟まってくることからしても、人々の解釈というテーマが一貫して守られた本のように思います。
私は恥ずかしながら仲條正義という人物のことは知らなかったのですが、本屋でこの言葉が帯に書いてあるのを見て、思わず手に取りました。
「デザインは遊びだ。野暮や退屈になったらおしまい」
私は選手、その後はコーチとして20年以上サッカーというスポーツに競技者として打ち込んできました。現在はその範囲を広げて、スポーツをいかに伝えるかに興味を持っています。そうすると、やはりブランディングやデザインの領域に踏み込まないわけにはいかず(好きだからいいのですが)、素人からスタートする「学習」を続けていかなければなりません。
でも考えてみれば、私は20歳の時に「監督になろう」と決意した時、サッカーの戦術論や、その他サッカー監督になるために必要な知識に関しては、全くの素人でした。
今私はその領域に対して自分のことを素人だとは思っていませんが、デザインに関しても、同じように、実践しながら自分で(自分なりの方法で)学んでいけば良いだけの話なのだと、ちょうどスッキリしたモチベーションを持っているところに、この本を取りました。
スポーツは遊びだ
仲條さんは、たとえそれが金銭の発生する仕事だとしても、デザインを「遊び」の一種だと捉えているのだということは、言葉の節々や、他者からの印象から見て取れます。
やっぱり、年に数回は無意味な、目的がない特集があってもいいんだろうとは思っていたし、キャンペーンなどの絡みもないなら、こうした遊びも必要なんだ。遊びこそが、相手の心に忍び込めるんだよ。
あまりにもきれいに組んであると、目に止まらずに流れていってしまい、帰って読んでもらえないのではないかと思うんだ。だから、ときどき文字の間を不自然に広くしたタイトルをつくるのは、僕の好みというだけではなく、読者に引っかかってもらえそうだと思えるから。読みにくいというほど出ないなら、少々の違和感があるくらいがいいと思う。
企業ロゴも、時代によって老化するというか、疲労してしまうことはある。大企業でも、ロゴがなんとなくよくないと感じるときは、いまの時代に合っていないのか、実際にその会社の景気もよくなかったりするもの。だから、僕はロゴをつくるにしても、丁寧すぎない、完璧にしない部分、少し変だと思うところは残しておくんだ。
仲條さんのデザインには秘密がある感じだね。謎と言ってもいいんだけど、人を惹き付ける。「かっこいい」というのは「かっこいい」と認識した時点で終わるけど、「なんかこれ変だな」とか「わかんないな」という場合は、「かっこいい」の箱に収まらずに、いつまでもそのデザインに生命があるみたいな(穂村弘)
初めから<仕事>としてデザイン領域に手を出した私は、どうしてもビジネス文脈の強いデザインやブランディングなどの方向に引っ張られてしまう傾向にあると思います。商業的意味合いが強くなりすぎてしまう。
しかし、曰くデザインは遊びです。その感覚がなければ、私のデザイン的興味もいずれ廃れていってしまい、つまらないものになっていってしまうのではないか、要はバランスが大事なのだと教えてくれたように思います。
スポーツだって、最初は遊びでした。
知恵のある素人であること
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視録的運動(シロクテキウンドウ)
スポーツのストーリーテリング記録運動。スポーツ領域のブランディングやデザイン、写真や映像、ストーリーテリングなどを考察するWebマガジンで…
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