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好きな「こと」を仕事にするか、好きな「ように」仕事をするか問題

突然ですが、僕は幸せになりたい。と大人になってからずっと考えてきて、そのためにどうすればいいのか今でも考えている。でもそうすると「自分はすでに幸せでしょ」とか、そういう言葉たちが浮かんでくる。確かに「幸せになりたい」なんて考える余裕がある時点で、「生きたい」と毎日必死で日々を生きている人々に比べたら"幸せ"だと思うし、実際に、自分はなんて幸せなんだろう、とふとした時に思うことがある。世界を見て、若造だけど経験を積んで、そう思う機会が増えた。でも、「もうこれでいいよ」とは思えない。幸せというのは他者と比較できるものではなくて、なおかつ、人に基準を決められるものではないから、「すでに幸せ」という言葉に反論したい気持ちも湧いてくる。

では何が自分にとって本当の「幸せ」なのか、と僕は基準を決めている。それが『納得のゆく暮らし』。自分が求めている「幸せ」というのは、日々感じる些細な幸せと、もう一つはこの『納得のゆく暮らし』ができているかどうか、だと気付いてからは、結構スッキリしている。向上心をもって生きていく理由も、僕はこれで迷わなくなった。


納得のゆく暮らし

そういう点で、幸せになるのは(心の底から自分自身や環境に納得している状態になる)のは、その求めるものによるけれど、簡単ではなかったりする。例えば、世間一般的に「いわゆる幸せ」ではない暮らしをしている人でも、心の底から「私はこれでいいんだ」と思っているのであれば、それは幸せである(と僕は考えている)。でも、人間は自分に嘘はつけないから、自分がそれを心の底から感じているのか、まだ余白があるのかは、自分にはわかる。都会に暮らそうが、田舎に暮らそうが、おしゃれしようがしまいが、お金を持っていようがいまいが、自分が心の底から「納得」していれば、それは幸せ(と僕は考えている)。

人間とは、その類の幸せ、つまり『納得のゆく暮らし』を求めるべきで、その権利があって、それは全員に与えられなければならないのではないだろうか、と真剣に思っている。


いまと未来


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