
作り込めないStorytellingは、音と色と速度とともに。
それなりの良いカメラを使ってそれなりの映像は誰だって撮れるわけですけれども、彼が撮るNBAの数分間は何か他とは違うがしてならない。その空間の雰囲気を"正しく"伝えられているような感覚があります。それでいてスポーツの美しさをスマートフォンの画面いっぱいに表現しきっている。これぞStorytellingという感じがします。
もちろん映画だってなんだって、同じ機材と同じ役者を使っていても「映像が美しいかどうか」という点では監督によって差が出るわけで、そこにはあらゆる技術要素が孕んでいると思うのですが、ただ、やはり映画とは異なるのは「作り込めない」ということで、ライティングも被写体の動きも何もかも「スポーツ側に委ねられる」という点でカメラを構えるものは「受け身」の立場を担わざるを得ません。
そのような前提のもと映像美はどのように作られるのか、に興味があります。考えてみましょう。
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考えられる要素としては次のようなものがあります。
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