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自分への興味から他人への興味、人間への興味から社会への興味へ

18歳の時にサッカーをすることから解放されてから、比較的いろんなことに興味を持ってきたと思う。本当にいろんなジャンルの本を読んだし、いろんなバイトをしたし、いろんな分野にいる人と交流をもってきた。
18歳の時にサッカーをすることから解放される前は、つまり子供時代は、勉強や読書(小説を除いて)などには興味がなく、もちろん交流関係はほとんどサッカーの中に収まった。
今思えば、唯一サッカー以外に興味があったのは、「自分」という人間についてだった。

人生とは、自分を知るための旅である

と、昔何かの本で読んだけれど、これはなかなか、自分にも当てはまるなと思う。自分のことのようで、どこか他人事のようなところがある私は、自分の将来のことを考える時、“こいつなら”なんかこうなりそう、とか考えたりする。“こいつ”がどういう反応をするのか、どういったことをどういったふうに考える癖があるのか、何に喜び、何に怒るのか、ということはずっと観察しているから、当たり前だけれど子供の頃よりは自分のことをわかっている(と思っているけど、完全に自分を客観視してコントロールすることはできないこともまたわかっている)。

自分への興味は、同じ人間である「他人」への興味と同時に走っていったと思う。主に「この人は何を考えているのか」「この人は何を考えた結果この行動をしているのか」などのことに、興味があった。同じ子供のことも、自分を取り巻く大人のこともよく観察していた記憶がある。

こういった、自分が何を思っていたのか、みたいなものは、後になってわかることが多いから、記憶が不正確なのは承知の上で、過去を振り返ることは定期的にしてきた。過去を振り返って新しい発見があるのは、哲学をしているのと一緒だ。過去のアーカイブは宝の山である。

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この記事の結論を急ぐと、だから私はサッカーをしているだと思う。

自分への興味が、他人への興味へと繋がり、そうすると、人間とは何か?と思うようになって、終いには社会とは不思議だな…となっていく。サッカーというゲームには、「人間の社会」がこれでもかと反映される。だから無性におもしろいと感じるのである。

アルゼンチンという、日本から遥か遠く離れた、文化のまったく異なる国でサッカーを見て、その「あまりにもかけ離れたサッカー」に魅了された。そのもの自体に、というよりも、日本のサッカーとの“違い”に魅了されたといってもいい。だから私は、「サッカー」以上に「日本人のサッカー」に興味がある。「日本(という社会に生きている人間がする)サッカー」に、興味津々なのである。

■社会心理学

今読んでいる本は、そんな私の興味をこれでもかと隅から隅までくすぐってくる。本書については後日しっかり記事にする必要があると感じるくらいには感銘を受けているが、冒頭にこんな記述がある。

人間は社会・歴史条件に規定される存在です。言語を始めとして、思考枠を基礎づける範疇や概念を我々は文化から受け継ぐ。嗜好・美意識・倫理観、どれをとっても社会から学んだものです。社会性を排除したら、人間は言語も持たず、道徳観もない野生児になってしまう。だから社会から切り離された状態の人間心理を規定しても無意味です。
先に見た教科書が挙げる社会心理学の定義を思い出して下さい。ここで言及される個人とは何でしょうか。裸で街を歩かない、泥棒をしない、他人を殺さない、そんな存在です。つまり言語や道徳を持たない野生児ではなく、すでに社会化された存在として個人が想定されている。
したがって結局、〈内在化された社会〉と〈外在する社会〉との相互作用を研究するだけで、社会性の意味が議論の最初から棚上げされています。
人間を知るためには社会を知らなくてはならない。しかし逆も真です。人間の心理を無視して社会は理解できない。
その意味で社会心理学は、社会学と心理学の分裂状態を止揚するはずでした。心理学の課題は、すでに社会化された個人と、外部にある社会の関係を研究することではありません。すでにできあがった精神を出発点に据えるのではなく、精神活動を生み出す身体と社会の関係こそを分析の根本に置かなければならない。

これは、そのままサッカーというゲームを考える時にも同じことが言えるのではないか、と私は思っている。サッカーを考えるときに、日本という社会を無視することはできない。日本語という言語を無視することなど、できないのです。
ピッチの上には、22人もの人がいて、さらにベンチを含めれば、また観客を含めれば、非常に多くの人間がゲームに影響を与えている。それは一つの社会と言え、その社会の中でプレーする選手の心理を、あたかも「ひとり」であるかのように想定された議論を目にすることは少なくない。それは、ちゃんちゃらおかしいのだ。
選手は、“すでに社会化された存在としての個人”であるということを、忘れてはならない。

■日本人と海外サッカー

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