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ブランドが人格を持つとするならば、「リブランディング」の意味合いも変わるのではないか?

兼ねてからファンだったNuevo. TokyoとSTUDIOが組んで、STUDIOのリブランディングを行っていました。かっこいい。

ところで「リブランディングしました」というリリースはSNSを見ていると嫌というほど目にしますし、ブランディングの文献や資料に載っている「ブランディング」の事例は、基本的には「"リ"ブランディング」をスタートとして(あるいは終わりとして)行われているので、世界には溢れんばかりのリブランディングの例があります。

近年になって加速しているのだと思うのですが、事例が増えているだけではなく、社会的変化によってリブランディングという行為自体が持つ「意味」も変わってきたのかも?とSTUDIOの件を見て思ったので、考えてみます。


人格の変化

もしもブランドに人格が伴うとすれば(ブランドパーソナリティとはよく言ったものです)、人格のどこは変化がなくて、人格のどこは変化が起こりうるのでしょうか。ブランドも人間と同じように、変化があるところと、ないところが存在しているように思います。

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スポーツのストーリーテリング記録運動。スポーツ領域のブランディングやデザイン、写真や映像、ストーリーテリングなどを考察するWebマガジンで…

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