「サッカーのコンセプトメイクについて多分誰も気が付いていないこと」(全文公開)
いったい私は何をしているのか、が定義できないと自分でも仕事がしづらいし、協力して他者と働くことも難しいということに気付いてはいるし、たぶん、どうやら今までに誰もやったことのないことをしようとしている、あるいは何かを再定義しようとしているっぽいので、自分でつくんないといけません。
そもそも私はサッカー監督になるための勉強をしてきて、そしてそのためにサッカーというものを学んできたわけですが、ただその道中で、既存のサッカー監督像や仕事の仕方、社会での立ち位置、サッカークラブ内でのスタンス、求められていること、などに対して抱き始めた違和感の正体はずっと暴けずにいました。やはり人間は、「仕事」を「肩書き(仕事名)」に収めてしまう傾向があるようで、サッカー監督といえば、当然世の中にいるサッカー監督の枠組みの中でどうしてもキャリアを積み重ねようとします。
そもそも「サッカーとは芸術・表現である」とか「サッカー監督とはブランディングである」とかなんとか言っていたような人間がその枠の中に収まりそうもないわけですが、ちゃんと「自分が何を担っているのか」が定義できていないがために、色々エラーが起きていたっぽいのです。
そもそも、まず、自分の仕事(自分がしたいこと・していること)を『コーチング(監督)』と『ブランディング(CBO)』という既存の言葉で表現することで、初っ端から認識の違いが生まれてしまっているとも言えますが、それは一旦おいておくことにします。
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大事なポイントとして、サッカーに関わるほとんど全ての人において、「サッカークラブ」がこの世に存在しない限り、何もかも仕事は存在しないと言えます。全てのサッカーにおけるコンテンツは「サッカークラブ」を幹として枝が伸びています。サッカー文化とはサッカークラブのことであると言えるし、サッカーで何かをしよう(なんでも)と思った時に、サッカークラブという概念を通らずに表出させるのはほぼ不可能です。サッカーはサッカークラブがないと存在できないからです。
であれば、まず、自分という人間は、その「サッカークラブ」の中で、どんな役割を担っていきたいのか、それは既存の肩書きで説明できるか、あるいは新しい領域か、を定義しなければ、始まらないということが気がつきます。
その解像度を上げるために、私の場合、以下のような視点で整理をし始めました。
かつてこんなに汚いメモがあったでしょうか。すみません手書きそのままです。
これはどういうことかというと、やはり私は「サッカークラブ」というものを「ブランド」として捉えている節がありまして、であれば、何より重要なのは「コンセプト」ということになります。
それで、私はまず、この「コンセプト」にオンピッチとオフピッチで一貫性がない(あるいは何で一貫性をもたらすのかが整理されていない)ことが気持ちが悪く居心地を悪く感じてしまうので、この両方をしなければならないと、今クラブでは「監督 兼 CBO」という肩書きで仕事をするに至った経緯があります。
コンセプトによる一貫性のようなものがあり、コンセプトによる必然性によってアプトプットが表出し、コンセプトによるコミュニケーションが発生している状態。
この上層概念の中を担っている既存の肩書きたち、多分汚いメモに書いているように名前がついていますが、その汚いメモに汚く「?」が書いてある通り、ここが多分おかしい。もっと上手くやれる気がするのです。
それで、私の場合、「サッカーを創造するのは監督だ」と思って20代を過ごしましたので、当然そこのレイヤーがやりたいと思ってきました。でも、あれ、と途中で思ったわけですね。
例えば競技側面から見るとファーガソンやラングニックやベンゲルが思い浮かびますが、いかんいかん、これは多分ヨーロッパや南米の前例を持ってしても完全には説明できない領域なのだ、と思いとどまります。前提や環境が違いすぎるのです。
このメモで表しているのは、本当に単純化されたもので、全く完成品ではなく、現実はもっと複雑な枝葉に分かれています。ただこの「誰がどのように何を担うのか」が、サッカークラブ(日本だけに関わらず)改善の余地があり、それをすることで、サッカークラブというものがさらに社会的な価値を生み出し、立ち位置を確かにし、「ただのサッカーしてる人たち」に甘んじないために必要なことではないのか、とは確かに思っています。それが定義できないと、人材育成もまるでできない。人が育っていかないと業界が終わる。
サッカークラブにおけるコンセプトメイクができる人材って、オンとオフで別れているのが正しいんだっけ…??
アホなので、「サッカークラブ(サッカー)の可能性を世界は活かしきれていないのだ」と勢いよく「!」付きで思うようになってきているということです。
未だかつてこんなに汚いメモがあったでしょうか。
じゃあ、私はこれ全部で「"サッカークラブの"ブランディング」という風に表していたわけで、監督という仕事もブランディングの中に含まれているし、クリエイティブの仕事も含まれているので、私の場合これを(抽象と具体を行き来しながら)全部やろうとしているわけですが、もしかしたらもっと分業しなければいけないし、逆に、もしかしたらもっとまとめて担わなければならない、あるいは肩書き(名前)と関わる領域(レイヤー)を変えることで整理しなければならならないのか、とか色々考えています。
世界でも、日本でも、ここがバラバラな状態で複数人がサッカークラブの上層を担っているから、あらゆるエラーが発生しているのではないか?と思います。あるいは開き直って、運営(オフピッチ)とゲーム(オンピッチ)を切り離して、適当に「俺たちのサッカーは」とか言ってるか。
この2つだけは間違いないので、だから「ブランディング」という言葉を使うこと自体が間違っているのかもしれません。
監督は首にされてなんぼっしょ、とかこれまでのサッカー的思考で考えていたことを白状しないといけませんが、それっていいんだっけ、とか、サッカークラブって、誰がどのようにつくっていけば本質的なんだっけ、とか、そもそもサッカークラブってなんでいるの、とかそういう問いの質を変えることで答えの質を変えていきたい、です。
それが結果として、既存のサッカークラブとは全然違くなっても超いいじゃんと思うし、既存のサッカー監督、既存のブランディングと違くなっても、超いいじゃんと思います。
まだ世の中に答えがないことをしているという自覚、だいじ。
まずは自分の仕事の質の低さに向き合うことから始めます(ここで現実に戻る)。
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