ハロー、何もしない人
何もしないってのは、何かをするより、ずっと難しいのではないかと思って、それはどうしてなのだろうと、考えたりしている。昔々、僕がサッカーというゲームの世界に身を置くようになってから、勝ちと負けで人生が武装されるようになって、そうすると、他者との比較や、自己との対峙を通して、次第に「何もしない」ということが難しくなったのかもしれないなどと、思う。
勝ちと負けというのは、つまりフィードバックで、自分が「何かをしないと…」とまたさらに焦りを抱えて生きている(た)期間は何かと考えると、例えば生まれて初めてテスト勉強というものをした高校時代のテスト期間とか、あるいは生まれて初めて国家試験を受けたときとか、テストというワードは、このテーマで考えるにはどかしておけないもののような気がする。テスト。テストは、フィードバック。自分が過ごした過去に対して、ダイレクトに返ってくる、即時性のあるフィードバック。僕はとにかく、テスト前に何かをしていないと、気が狂いそうになった。中学校3年生までの俺、そんな焦りとは無縁の人生で、草。
生きていて、「何もしない」ことが(少なくとも今の自分にとって)かなり難しいのは、生きるということに、フィードバック性を見ているからではないか、と思うなどした。同時に、それは本当に豊かなことなのだろうかと、一旦考える。
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ダイレクトなフィードバック(テストの得点 etc.)がある時、「何もしない」ということが難しいのは、多分だけど僕の場合、自分に自信がないとか、現実を見せられるのが怖いとか、そういったネガティブな感情からきていると思う。ポジティブなエネルギーというより、ネガティブな空気感がある。だから、いつも焦っている。「生産性」という言葉が、仲間のようなふりをしてやってくる。
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