AI時代のフットボールクリエイティブ「これを見て君はどう思うか」
当たり前の話なんですが、(狭義の)デザインやクリエイティブ制作にAIの足音が聞こえるようになって久しいです。
私のような「スポーツ」領域に従事するものとして、AIというものをどのように捉えたら良いのかはいまだに考えるところがありますが、私の経験上では初めて、AIによって制作されたものに「騙された」事例が出てきたので、その時の私の心情と、数秒間後に考えたことを、肯定的にも否定的にも記しておきたいと思います。
先日声優の方々が、AIによって声優の声を勝手に使って自動生成されている例が増えたことに関して声明を出しているのをみて、人間の(?)不可逆的な進化だといえども声優の資産である「声」をコピーする行為はリスペクトのかけらもないな、という感想を持ったものの、人間がリスペクトを持たない例は枚挙にいとまがありません。
スポーツは、どうなのだろうか。
本題に入る前に、『思想』10月号の「スポーツ論の現在」では、テクノロジーの進化やデータの蓄積によって、アスリートの技術論は5年前とは「全く違うゲームになっている」というような趣旨のことが書かれていました。
テクノロジーの進化やデータの蓄積によって身体の"正解"がある程度用意されていて、そこに"アスリートが合わせて"身体をつくるようになった。これは、昔のスポーツとは異なる矢印の方向です。
このことについて深くは触れませんが、AI時代のクリエイティブ制作も同じような現象として捉えることができるのではないか、と思いました。
考えることを"やめさせる価値"があるAI
本題に入ります。私が見た投稿は、以下のものです。
GIRLFANS Fanzine & Femorabiliaというコミュニティで、その名の通りサッカーファン×女性というコンセプトで作られているものです。
Mundial Magazineというこれまた有名なイギリスのサッカーカルチャー誌で特集が組まれていた「Fantasy Football」という(ソースは見ていません)中のコンテンツだそうですが、私はこれを見た瞬間に、AIだという認識ができず、というのもこの写真(?)は、めちゃくちゃサッカーカルチャーっぽいからです。「っぽさ」をしっかりカバーしている。
いつもならこのようなものを見た時、「おお誰が何のためにやってんの面白いことするな〜」的な感想を持ったのち、その1枚のコンセプトはなんなんだろう、どこが制作してるんだろう、どんな意図があったんだろう、どうやって撮ってんだろう・・・ということをいろいろ考えてしまうのですが、今回の場合キャプションを見た瞬間にそれが「AIによるもの」だとわかった(ほぼ違和感として持っていた)ので、そこから考えることをやめました。
これは示唆的なことだと思います。
AIは瞬時発散(アテンション製造機)
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視録的運動(シロクテキウンドウ)
スポーツのストーリーテリング記録運動。スポーツ領域のブランディングやデザイン、写真や映像、ストーリーテリングなどを考察するWebマガジンで…
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