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『若者のサッカーに対する興味関心を語る時の、圧倒的な勘違い』について

まず、若者の、あるいは、若者でなくとも、「サッカーへの関心」や「興味」というものは、「長い時間をかけてつくられて、長い時間をかけて失われていくものではない」と私は思うのです。そこを勘違いしてしまっては、いけないと思うのです。

そもそも「サッカー」というコンテンツは、西洋由来のもので、日本においてその存在を確かに持ち始めたのは、ここ30年の話です。Jリーグという人為的かつ戦略的に作られたコンテンツがきっかけでした。

それなのに、私たちは、どの領域に関してもサッカーを語るとき、「(私たちの)サッカーが失われていく…」という、何か、日本が“本来もっていたものが失われていってしまう”というような、傲慢性を携えた解釈をしているように、私には思えてなりません。それの何が問題なのか。


時間のかかる作業と、かからない作業

私は、日本という国において、サッカーというものに対する「若者の関心・興味」をつくり出すのは、「時間のかからない作業」ではないか、とまず主張します。だって、もともと時間のかからない作業だったじゃないですか。

何かここを勘違いしてしまうと、小難しく考え、世代が上の人や、あるいは地位のある人や、あるいは元プロサッカー選手たちが、“少しずつ啓蒙していかなければ”的マインドで、正義感を持って動き出すことになります。時間をかけて、ちょっとずつ、やろうとします。

サッカーの魅力を魅力のない方法で説明しようとします。

そういうもののほとんどは、若者の心を動かしません。かつ、「私たちは死にそうなコンテンツを必死にわかってもらおうとしている」という、語弊を恐れずに言えば“痛い”存在になりかねません。これは終末へのカウントダウンと化します。

若者の興味関心という観点だけで言えば、「時間をかけずに作られ、時間をかけずに失われていくもの」だという前提を理解することが、まず私たち日本のサッカー界が踏むべき一歩目のプロセスです。

もちろん、教育・啓蒙活動のような、時間をかけて行っていく動きを絶対的に否定するわけではなく、同時にやるべきことがあるし、軸足を置くならそっちじゃない、と思うのです。


危機なのか、可能性なのか

数字にもはっきりでている。サッカーの公式戦に出場するためには学校の部活でも、地域クラブで日本協会への選手登録が義務づけられる。一般社会人や大学生(第1種)高校生、(第2種)、中学生(第3種)、小学生(第4種)と分かれているが、その全登録者数が2014年度の96万4328人をピークに減少。20年度には81万8414人まで落ち込んで歯止めが全く効かない。

記事より

数字に関して言えば、これはサッカーへの興味関心がなくなったから、ではなく、単純に人口減少(少子高齢化)が原因です。これからは子供が減り、ということはサッカーをプレーする人が減り、ということは指導者が減っていきます。そのルールの中で戦略を立てなければらならない。
でも、81万8414人もいるんだよ、とも思います。全然十分な人数ではないでしょうか。

JFAのHPより

前に書いたことがありましたが、女子だけ「女子」で括っている安易さと傲慢さが、女子サッカーが持つポテンシャルを感じ取るセンサーと熱意がないということを暗に示唆しています。

例えば、これが南米や欧州で、「若者の興味関心が失われている」のであれば、もしかしたら、危機感を持って然るべきなのかもしれません。社会的な変化や、若者の環境の変化など、大きな枠組みを持って思考する必要があるのかもしれません。例えば今の若者が映画を1.5倍速で観るとか、そういう信じ難い変化に対応していかなければならない。

ただ、日本サッカーはまず、若者の興味関心をもたらすという意味では、土俵にも立てていない可能性を考えなければなりません。90分は長すぎるとか、全然そこじゃない。

サッカーはそもそも、全然、日本のものではないのです。

日本サッカーの核になる部分から出てくる映像や画や企画を見ると、どうやってこれで若者の関心をひけると思っているのだろうと、驚愕します。そこに重要性とリソースをかけていないことが明らかに見てとれます。

逆に言えば、そこを整理して取り組むだけで、ある程度土俵に乗ることができるというという、可能性の大きさを示唆します。

であれば、そもそもサッカーやスポーツに携わる人たちだけでは簡潔しない行為(センスはこの業界には落ちていません)なので、どうすればネットワークを作ることができるのか、が戦略の入り口になります。


これからのスタンス

サッカーって、こんなに魅力があるんだよ?興味を持ってみてくれないだろうか?

というマインドだと死にます。それを見せていこうとすると、人は遠ざかっていく。

私たちはこんな感じで、かっこよく、楽しくやってるので、くるならいつでもウェルカムです。

それくらいのスタンスでいることが大事なのではないでしょうか。

前者の場合、まず「理由」を興味のない人に強要しようとしますが、後者の場合、なんとなく触れさせて、後から理由を形成させます。そこには受動性と能動性という大きな違いがある。

そうすると、私たちは私たちの魅力を最大限高めることしかできないし、そこにフォーカスするようになります。

では、魅力とは何か。人にとって、サッカーとは何か。何になり得るか。そもそもサッカーである必要があるのか。それをどうやって伝えるのかベストか。

そういったことを考え続けることが、私たちがもし“サッカーというものに本当に魅力と可能性と意義を感じているのであれば”、大切なことではないでしょうか。

若者の、あるいは、若者でなくとも、「サッカーへの関心」や「興味」というものは、「長い時間をかけてつくられて、長い時間をかけて失われていくものではない」と私は思うのです。そこを勘違いしてしまっては、いけないと思うのです。


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