第14話 │ 現実味
世の中には、現実的に物事を捕える人と理想を追い求める人がいる。
夢があって、それをめざしてモチベーションを高く持ち続け日々を暮らす人は素晴らしい。しかし同時に、夢とのバランスをとりながら現実的に物事を考えられる人も素晴らしい。
一瞥して、大人は将来の夢がない子供たちに「若い頃はこんな夢があったもんだ、お前は何を思って生きている」と言ったかと思えば、夢を持ちそれを語っている若者に「大人は、現実は本当に厳しいんだぞ、夢ばかり語っても地に足をつけろ」だのという。
まぁ、これは極論であり、偏見だが、、。
だが実際、弱冠の身になったものとして最近感じたことがある。
また映画からの、アプローチになってしまうが来月9月3日に最近はやりのアメコミ(MARVELシリーズ)の、『シャン・チー』というものが劇場公開の予定で控えている。
この映画の主人公であるシム・リウという、俳優について自分が見ている限りかなり多くの批判・批評の声が上がっている。
そこには共通する、内容があった。
それはただ、シンプルに「あまりにも華がない」ということだった。
単刀直入に言うものもあれば、他人の目を気にしてひとつとして異論を出させないように配慮されたものの言い方まで多種多様だ。
確かに主観的に見て、特段かっこいい訳では無いし、群を抜くようなアクションも無い(予告編より)。
私自身できる限り、周りの意見に流されないように、固定観念を持たないように意識しているつもりだがこの度の件は現状、全く見る気が起きていないのだ。
うだうだと回りのくどい言い方になってしまったが、要するに結局顔なのである。
人は、他人の第一印象を2秒で決めるという。
それと少し共通するように、俳優たるもの、ましてやMCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)の新作で主人公として抜擢されるにはかなりインパクトが弱く思える。
もちろん、顔じゃなくて演技力やアクションやその他もろもろの表現力など、人それぞれ求めるところが違うというのは重々承知している。だからそこは否定も肯定もしない。
だが、世間がその他もろもろの大衆が求めるものは今回の『シャン・チー』には無いのだ。
大衆が求めるものこそ、正解である。というのは異論を呈したいが、映画や人気を追い求めるサブカルチャーにおいて絶対に流行は外せない。
少し前のnoteにすぐに目移りする現代に辟易しているという意の文を書いたが、実際問題現世の流れに逆らえば孤立し、冷たい後ろ指を刺される。
これは決して矛盾ではなく場合分けなのだ。今回の事例に適応されるべきものでは無い。
だから、日本では集団行動の何たるかをずっと教え続ける。
個人とは集団とはなんなのか。
現実とは大衆の意見に迎合することなのだろうか。
問は尽きないが、このあまりにも夥しい意見が飛び交うSNSの動きを見ていてそう感じたのだった。