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1杯の小さなビール

 秋の風吹く夕方5時、天気は晴れ。
コーヒー片手に過ごす人、仲間とビールを飲む人、母の大きな手で押される小さな車に乗る赤ちゃん。

East side Tokyo。
英語にするとカッコいいこの街の、とあるお店でのお話。秋の香りと共に蘇る、僕の大好きな思い出。

 夕方。この時間、僕の働く飲食店はお客さんの"動き"が活発な時間帯だ。ディナーに出掛ける旅行者、食事の準備のため帰路につく大人たち、仕事後の喉を潤す黄金色の液体を流し込む人。お店の中には様々な動きが交差する。

「いろんな人がいるんだなぁ...」。5時の鐘を合図に移りゆく景色を見ていると、そんな気持ちが訪れる。

 「キーッ、キキッ」。少し年季が入ったお店のドアが僕たちにお客さんの到着を知らせる。ぐっすり眠る赤ちゃんは、買い物袋をたくさん持った母親が押す"赤ちゃん専用タクシー"でやって来た。

辺りを見渡す母親。空いている席は無かった。
お酒を作っている真っ最中だった僕は手を離すことが出来ず、"赤ちゃん専用タクシーとドライバーさん"の案内が遅れた。

 そんな時、1人の男性が母親に駆け寄り、「座席を譲ること」そして「ベビーカーを運ぶのを手伝うこと」を伝えた。優しさ溢れるこの男はChris。日本に旅行に来ていたナイスガイだ。

かくして、赤ちゃん専用タクシーは行き先が決まった。入り口発・ふかふかのソファー行きだ。

Chrisの優しさで、疲れていた母親の顔は笑顔になった。何も出来なかった僕は、彼の行動にとても救われた。その場にいた誰よりも早く行動をした彼の姿は、今でも鮮明に覚えている。

 その後ちょっとして、お酒を作り終えた僕は彼の所に向かった。キンキンに冷えた1杯のビールと共に。

そんな僕に彼は、「Kazu, you shouldn't have!」と言った。僕のリスニングがあっていれば、多分そう言った。

これは、「そんな気を遣わなくていいのに!」に「でも、ありがとう!」のニュアンスが少し足された英語だと僕は理解している。

無償の愛を示してくれた彼の行動は、無償どころか、お金に変えられない、プライスレスなもので、あの瞬間何よりも尊いものであったと僕は思う。

そして僕は、そんな彼に、心からのお礼を形ある何かと一緒に届けたかったのだと思う。(この時は、気付いたら1杯の小さなビールを持っていた)

・・・・・

 蔵前発・自宅行きの赤ちゃん専用タクシーは、母の「笑顔溢れるありがとう」と共に、Chrisより先に店を出た。

あの秋、彼の優しさが注いだ1杯の小さなビールは、大きなジョッキからも溢れるほどの温かさになった。

 さっきより少し涼しくなった秋の夕暮れ。
"赤ちゃん専用タクシー"を見送る皆の心に、ついさっき過ぎたはずの夏が帰ってきた。

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