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岩槻を歩く④岩槻の愛宕神社

岩槻編最終回は、岩槻駅近所にある愛宕神社に参ります。
この愛宕神社が鎮座する土塁自体が、岩槻城の大構(おおがまえ)だったそうです。
その点も含めて写真を撮影してきました。



愛宕神社

愛宕神社
御祭神 迦具土命他三柱

 神社の創建は明らかではありませんが、江戸時代初期の「武州岩槻城図」には既に愛宕神社が記されています。口碑では、「長禄元年(1457)太田資清(一説に道灌)が岩槻城を築くにあたり城郭として外濠と土塁(土居)を造った。するとその傍らに小さな祠一社があり風雨に曝された小板に幽かに迦具土命と云う文字が見えた。これは火防の髪(愛宕大神)であるので土塁上に奉祀した。と伝えられています。この日が七月二十四日であるという事から、現在でも当日賑々しく例祭を執り行っております。

 主祭神の迦具土命は火伏の神として知られており、当社では郷土の安全、家内安全等の信仰を集めております。本殿内には騎馬武者像が収められており、その像には平安時代末期から鎌倉時代初期に名を馳せた武将佐々木高綱公の名が刻まれております。その武者像の兜には目結門が記された本殿社殿にもその彫刻が所に見られ、目結門は当社の神紋となっております。境内末社には三社祠、稲荷神社、天神社をお祀りしており、三社祠には松尾大神、合殿に熊野大神、東照宮をお祀りしております。

 氏子区域は元の武州岩槻藩の久保宿五ヶ町(上宿、中宿、下宿、丹過町、大工町)で、現在は町の発展と伴に愛宕町、西町、緑ヶ丘の地域が加わり計十一の各自治会の皆様が氏子となり、それぞれ総代を選出し神職と伴に採点、清掃、整備との神社運営を行っており、当社はこれらの地域の産土神様として尊崇されています。

拝受した沿革より

境内の写真

鳥居

拝殿

扁額にうっすら文字が映ってますね。


本殿


岩槻城大構

 戦国時代の末から江戸時代の岩槻城下町は、その周囲を土塁と堀が囲んでいた。この土塁と堀を大構(外構=そとがまえ・惣構=そうがまえ・土居=どい)という。城下町側に土塁、その外側に堀が巡り、長さはやく8kmに及んだという。

 この大構えは、天正年間(1580年代頃)、小田原の後北条氏が豊臣政権との緊張が高まる中、岩槻場外の町場を城郭と一体化するため、築いたものとされ、城の防御力の強化を図ったほか、城下の町場の保護にも大きな役割を果たした。

 廃城後は、次第にその姿を消し、現在は一部が残っているにすぎず、愛宕神社が鎮座するこの土塁は、大構の姿を今にとどめる貴重な遺構となっている。

看板の手前から、拝殿と本殿(土塁)を撮影した写真


御朱印

当日が成人の日だったからなのか
日の丸の朱印が押印されてました。
初穂料300円


アクセス

東武アーバンパークライン(野田線) 岩槻駅より徒歩5分


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