有と無
『ビジネス書?哲学書?』
本書はかなり難解です。
作者である細谷功さんのご著書はよく拝読するのですが
(筆者には)一番難しいかもしれない…
いや、本当はめちゃくちゃ簡単なのかも。
「ものの見方の一つを提供する」ための本で
さまざまなものを『ある』と『ない』で表現しています。
これは、『二者択一』ではなく『二項対立』で考えましょう、ということなのかなあと。この話は以前の著書『地頭力を鍛える』でも出てきますね。
哲学的でもあり、ビジネス書でもある。
とても不思議な書籍です。
好きな人にはめちゃくちゃハマるでしょうから
ご興味あれば是非読んでみてください。
今回刺さったポイント
①「お前は間違っている」 実は…
これは、『絶対的な正解・正義』があると
思い込んでいる人が陥りがちです。
・自分の考えこそが正しく、それ以外はすべて間違っている。
・あの人の考えがすべて正しい。他の人の意見は聞かない。
こういった方、周りに一人や二人いるのではないでしょうか。
もちろん私の周りにもいますね。
ただ、これは『前提』が欠落しています。
この世の中には正解がひとつしかないことは、そうありません。
むしろ他の意見も正しい事もしばしばあります。
しかし、ひとつしかない正解を追い求め
他人の意見をシャットアウトしてしまうと
本当にたどり着くべき道を失ってしまう可能性すらあります。
SNSなどでも、大きい声が出た場合は
『どんな場合か?』『前提条件は?』と考えると、無意味に引っ張られずにすむでしょう。
②『ポジティブ』と『ネガティブ』は非対称
『85点のテスト』を持って帰った来た時
「85点!よくやったじゃないか!」
「85点?なんで100点じゃないの!?」
どちらを子供の心に残るでしょうか。
基本的には後者だと考えられます。
これは、ポジティブな意見10件よりも
ネガティブな意見1件の刺さるからなのだそうです。
そもそも人間は本来ネガティブ思考なので、そこに反応するという事も大いにあるでしょう。
ちなみに…
『うるさい少数派(ノイジーマイノリティ)』
『大人しい多数派(サイレントマジョリティ)』
どちらの意見がよりクローズアップされるかと言えば、前者ですね。
ノイジーマイノリティには、SNSの『承認欲求』も含まれているとは思いますが…。というか、もともとあったものが可視化されただけでしょうかね。
『和を以て貴しとなす』は今やむかし。
言ったもの勝ちの世の中ですから、意見があればどんどん声を上げるよう、アップデートしていきましょう。
③『バズる』人、『論破しようとする』人
なぜ『バズる』のか?
最初に投稿する(行動している)からです。
「そんなの当たり前だ!」と言う方もいるでしょうが
では、『最初』に行動していますか?
少なくとも筆者はできてません(笑)
結局最初に行動できない人は
バズった投稿のリプライで論破しようとし
相手にされないという現象が発生します。
でもそれは、バズった投稿と同じ土俵には立てないのです。
それは『インプレッション数(Xの場合)』で比較すれば明らかですね。
④『常識』『非常識』の境界
これは杓子定規な考えをもつ人が陥る現象です。
(筆者もかつてはこの考えでした)
自分の知識・経験がすべて。
それ以外は『非常識』で聞く耳を持たず。
いま思い出しても、恥ずかしい限り…
このような人は主観が『極めて強く』
そのことに自分で気がついていないのです。
しかも小さな狭い世界の果てでしかなく
世界の中心だと思い込んでいる『痛い人』ですね。
『井の中の蛙、大海を知らず』とはよく言ったものです。
対策としては、自分の知らない世界は常に広がっている。
という柔軟な考えをもつことでしょうか。
⑤世界は『不可逆』
筆者の好きなゲームに
『この世の果てで恋を歌う少女ーYUNOー』があります。
このゲームは死亡したとされる父を追い、『並列世界(パラレルワールド)』を旅して手がかりを探します。『時間旅行』とも言うでしょうか。
各並列世界で取得できるアイテムが、別の並列世界で必須のものになるという、システム的にもよく考えれらている作品です。
『時間旅行』で問題になるのが『親殺しのパラドックス』です。
詳細はwikipediaに譲るとして、このゲームで親殺しの行為は『親を殺した』ということが歴史に積み重なるだけであり、歴史そのものは変わらないという理屈です。
話が少しそれてしまいましたが
自分の見えている世界に関しても同じことが言えると考えます。
それは、無知(ない)→『知る(ある)』ことを増やしていけば
さらに『無知』という領域が増えていきます。
・二重円の内側が知っている(ある)領域
・二重円の外側が知らない(ない)領域
いずれの円も少しずつ広がっていきます。
そして、その円はさらに広がることはあっても狭まることはないのです。
これが『世界は不可逆』の意味です。