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IMA next #46 PLANT LIFEショートリストに選んでいただきました

IMAプロジェクトが行っていた写真コンテストIMA next #46 PLANT LIFEのショートリストに選んでいただきました。

私がIMAを知ったのは20代の頃です。
書店に並んでいるIMAの雑誌を見て、「将来はこういう雑誌に載ってみたいな」とぼんやり考えていたのを思い出します。

全く知らなかったのですが、IMA nextは#46で最後だったようです。
今後は別の形のコンテストのようなものを考えていくようです。

私にとってはこのショートリストに選んでいただいたことは大きな意味がありました。
なぜならこのサイアノタイプで福島の海を焼きつけるシリーズはずっと相手にされていなかったからです。
私がサイアノタイプをやりはじめたのは約2年ほど前。
当時周りの人たちからは「そんなものやってどうするの? Photoshopの裏技の一つでもおぼえたら?」と言われていました。
サイアノタイプは以前の記事でも書いた通り、誰でもとっつきやすいものです。

くわえてサイアノタイプのやり方を覚えたところで仕事にはつながりません。
Photoshopの使い方を極めたほうが仕事につながるし、可能性も広がることでしょう。
しかし、みんなが無視しているものだからこそ、可能性があるのではないかと私は思っていました。
といっても、サイアノタイプを学ぶことが楽しいと思えなかったら続けることもできませんでしたが。
サイアノタイプを学んでいる最中は楽しいという気持ちと「こんなことやっても将来どうしようもない」という気持ちが入り混じっていました。
サイアノタイプの技術をある程度習得した後も、「だからなに?」という感覚は自分の中から抜けませんでした。

サイアノタイプのように、印画紙に直接被写体を乗っけてできた写真作品をcamera-less photography(技法のこともこういいます)といいます。
カメラを介さず被写体と直接触れ合えるという感覚は私にとってはとても大切なことでした。
福島の自然を題材とするとき、このcamera-lessというのがとても大切でした。
福島は原発事故以降さんざんカメラによって撮られてきた場所です。
私は昔から、カメラを介して被写体を見ることで撮影者の意図から少し外れた写真が撮れてしまうと考えていました。
よくカメラを使ってありのままを撮るとか自分の思い通りに撮ると言っている方がいらっしゃいますが、私はあれは自分には当てはまりません。
カメラという自分でも被写体でもないものが間にあることによって、ありのままでも自分の思い通りでもないものができあがると考えています。
今回福島の自然を撮る際に、私はカメラを間に入れたくありませんでした。
自然をそのまま描写したいと思った私はサイアノタイプを用いて直接キャプチャーしたのです。

さて、そうして出来上がった写真を写真関係者の数人にプレゼンしたところ返ってきた反応は「ふーん」でした。
私の家族からは「いいかげん、きれいな写真を撮ったらどうなの?」と言われる始末です。

そんな私を支えてくれたのは福島にいる友人たちでした。
彼らは「私たちが普段見ている風景ってこんな風になるんですね」と喜んでくれました。
たぶん地元の人達の応援がなければ私はこの作品シリーズを作っていなかったと思います。

そこにIMA nextのコンテストが始まりました。
日本よりもサイアノタイプに寛容な海外の人なら評価してくれるかもしれない。
そう思って応募しました。

このコンテストはショートリストに選ばれると作品レビューがあります。
そこで「スティーブン・ギルもこういう作品作ってますもんね」と言われて、私ははじめてギルがオルタナティブフォトの技法も用いていることを知りました。

これからも福島に通って作品を作りたいなと思う反面、福島を作品の素材として扱いたくないなという気持ちもあります。
ですが、私はたぶん死ぬまで福島に目を向け続けるのだろうなとぼんやり思っています。

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