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人の目を気にして生きてる人が多い事に気づいた

前回、こんな記事を書きました。
僕らは評価される事・する事に慣れてしまっている|Kazu
評価される事・する事にとても慣れすぎている社会だなと思いつつそれについて自分の思っていることを書いてみました。
そして周りの人の声を聞いていると、どうやらその評価によって他人の目を気にしすぎな人が多いことに気づきました。
「どうしてなんだろう」と疑問に思いつつ、その要因について考えてみました。

  • 大人になるにつれて、関わる人が増えるため

  • 学生の時から、評価される事に敏感になるような教育を受けてしまったため

  • 社会人は評価が年収に直結するため

どうやらこの辺が原因な気がします。
関わる人の数が増えれば、自分のことを評価する人は良くも悪くも増えます。それは何も仕事だけに限らず、プライベートでも評価の対象として、みられ続けると思います。 社会からの評価、会社からの評価、上司からの評価、同僚からの評価、友人からの評価、パートナーからの評価…こう考えると、晒される場所が多すぎです。泣
こんな感じで常日頃から、人の目線を感じざるおえない状況が社会人になると存在します。そう考えると、生きづらくなるのも納得。ただこれらは、社会生活を持続しようとすると必ずでくわすので、致し方ない部分もあると思います。
社会生活を送る中で、自分は評価とどう向き合っているのか改めて考えてみました。
自分の場合は、評価をそこまで気にしていません。というより、気にしなくなりました。なぜなら、評価者が変わるだけで評価の内容も変わることを知ったからです。Aさんが評価してくれた部分は、実はBさんにとってはさほど重要ではないということはしょっちゅう起こります。仮に評価されたくて、Aさんに擦り寄ってもBさんには評価されないみたいな状態は普通に起こるので、評価に振り回されないことが大事だと思います。
評価はあくまで結果に対する相手の主観的意見に過ぎないので、「なるほど、そういうふうに見えているか〜」くらいでいいと思います。
評価に振り回されないためには、評価軸ではなく自分軸で生きる事が大事です。
ここでいう自分軸とは、自分が何をしたいのか、自分が何を楽しいと思うのか、楽しいと思うことをただやることを指しています。つまり、自分本位的考え方をすることです。
ベクトルを外に向けるのではなく、自分の内に向ける事がとても大事です。
外にベクトルが向き過ぎている人が多く、自分の心の声に耳を傾ける人が少ないなと思う事が多いです。
これは何も仕事だけに限らず、プライベートでも同じ事が言えます。自分が本当にしたいことをただやる、これだけです。
仕事において、それの何がいいのかというと楽しんだ結果評価されるという状態になるので、評価されることは二の次で自分がいかに楽しめたかが軸となり、さほど評価を気にしなくなります。
※ここで注意なのが、評価を気にしないことと結果にコミットしない事は別物である事はお伝えしておきます。

自分軸で物事を考えるか他人軸で考えるかの違いだと思います。少なくとも、僕はこの考え方になってから生きづらさを感じる事は無くなりました。
人の目を気にして生きづらさを感じる人は、一度自分の心と対話する時間をとってみてください。

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