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所属と愛の欲求は留まるところを知らず

(画像提供:スタジオジブリ『風立ちぬ』)

コロナで急速に変わる社会の変化に確実に追いつけていないもやもやを感じている。正直、なんだか疲れてしまっている。

起業家精神旺盛な人は、チャンスだ!と思えるのだろうけれど、多かれ少なかれ僕のように疲れてしまっている人は多いのではないかと思う。

なぜもやもやして疲れてしまうのかを考えてみると、このコロナの靄がかった先に、どこを目指せば良いのかがよくわからないということがあるのだと思う。

それは例えば、個人と組織の関係とか。

極論、みんなフリーになって企業と業務委託契約になるのが理想なのかと言えば、そうでは無いだろうと思う。

では、コロナの前はどんなだったのか思い出してみると、自分の中では、3密サイコー!という感じだった。

きっと、それが嫌な人もいたのだろうとは思う。

コロナのおかげで在宅勤務の毎日で、満員電車での痛勤は減って体は楽にはなったけれど、以前の様に同僚と顔を突き合わせて仕事をしなくなり、みんなバラバラで働いていて、会社の仕事や通勤に費やす以外の時間も増えて、他の活動に気が散り始めているように思う。

仕事以外のことにも興味をもって色々やれることはとても良いことだと思うのだけど、みんな仕事自体は前と比べて楽しくなったのかな?と、少し思う。前の方が楽しかったような気もする。

出勤しない分、会社の求心力みたいなものが弱まったように感じる。

だからビジョン、ミッション、パーパスとかがより大事になるのだ。働く意味を強く感じる仕事を会社は提供できるのか?という話ももっともだと思う。

会社は仕事を斡旋している分だけ利益を会社に残して、残りを給与として支給していると人事の教科書で読んだこともある。

しかしだ、お祭りでお神輿担ぐ時に、お神輿担ぐ意味を本気で問うている人っているだろうか?

みんなでぎゅうぎゅうになって、ワッショイって大声出して、大勢で同じリズムで体をゆらすのが気持ち良いから楽しいのではないの?

そういう、身体性を伴う、生身のコミュニケーションの楽しみが無い中で、オンラインで飛び交うテキストや動画だけで、リアルな気持ちよさをすでに知ってしまっている僕らが、本当に満足できるのだろうか?

マズローの欲求5段階説の中で、第3段階の「所属と愛の欲求」と第4段階の「承認の欲求」というのがある。

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今の状態は、組織に変わらず所属はしているけれど、所属の濃度が薄くなっている。そこで以前と同じだけ承認をされても、薄くなった分、喜びも薄くなってしまうのではないか?

一つの組織に深く所属して、周りが見えなくなって、一つの価値観に縛られるのは不幸だなと思っていたところもあるけれど、コミットが深くなればなるほどそこで認められた時の幸せが強くなるという事もあるんだろうなと思った。

組織開発の仕事をするからには、このコミュニティへの所属の気持ちをもっとよく知らないといけないなと思う。

こうしてもやもや考えて、最後に一つ言えるのは、

ああ、やっぱり、所属したい!

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(画像提供:スタジオジブリ『ギブリーズ episode2』)


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