義務教育のシャワー×嘘つき=僕
僕は義務教育のシャワーを浴びすぎたみたいだ。
先生は怖くなかった。でも、怒られるのは嫌いだった。
友達は嫌いじゃなかった。でも、ひとりが好きだった。
目立つことや恥ずかしいことは絶対に嫌だった。
ひとりじゃ何にもできないのに、ひとりになりたい。
「とりあえず何にもなく今日が終わってほしい」
毎日そう思っていた。
あの時は自分がよく分からなかった。
でも、今なら少し言葉にできるかもしれない。
・最初は先生が考える正解を出すことを最優先にしていた。そうすれば怒られないから。なので、自分の考えを言うことは控えた。
・次第に、先生の言うことが正しいとは思えない時が多くなってきた。でも反論する勇気はないし、大人は論点をずらしてでも論破してくるって心のどこかで分かっていた。
(この辺りで、先生の言うことを鵜呑みにしている人を心の中では見下していた。←今考えると最低)
・友達に話してみたが、分かってもらえない。自分の心には踏み込まれたくないので、本心ではないことを平気で言えるようになる。嘘も含めて。
・仲良くなっても、本心を言っていない自分を好きになったと思ってしまう。少しずつ自分を出していくが、徐々に相手がめんどくさくなっているのに気づく。
すぐに偽りの自分に戻す。
振り返ってみると、僕は心が寂しい人間ですね。
そして傲慢なのかもしれません。
しかし、高校や大学は義務教育ではない。両親が働いて稼いでくれたお金で得た所属の権利。
それが分かっていたから仲良くしてみた。
高校時代は頑張った。つもり。
放課後にファミレスでテスト勉強したり、休みの日にカラオケに行くこともあった。
でも無理をすると、すぐに疲れてしまう。
「とりあえず1人になりたくなってしまう」のだ。
大学時代は親友が1人作れればいいと思っていたので、その人と過ごしていた。彼には心を開いていた。
大学はサークルに入らなければ、講義だけのつながりになる。とても合理的で脆い関係だ。
義務教育のシャワーを吸収して出来上がった僕がどういう人間になったのかというと、
・とにかく周りを見過ぎてしまう。
・自分の気持ちを知られなければ傷つかない。偽った自分の方が受け入れられるなら偽り続けないと。
・自分の心や時間を大切にしたいから、遊びなどの誘いにのらない。人の心に土足で入ってくる人には嘘をつく。
・誰かの期待に応えていれば、環境は保護される。そのために必要な努力はする。
・いつからか自分を偽って、やり過ごすことが増えた。
気がついた時には自分の出し方が分からなくなり、自分が分からなくなった。
24歳で厨二病みたいなことを言う人間になりましたとさ。
ここまで読んでくださった方は想像がついているかもしれないが、恋愛は「どんどん自分が追い込まれていく」タイプ。
相手が好きそうなタイプを最初に理解できれば、それに近づいていくことをする。なので、正直付き合うことはできる。
でも毎回、無理して付き合ってしまう。
相手に好かれたい自分と、自分らしくいたい自分が葛藤して苦しくなる。
そして毎回決意する。「次付き合う女の子には最初から自分を知ってもらおう!」って。
でも、本心のままの自分じゃモテない。だから寂しくなってすぐ自分を偽ってしまう。学ばないよねホント。
自由気ままな猫みたいな性格受け入れてくれる人は俺の周りにはいないにゃ?
って感じなのよ(どんな感じ??)
長くなりました。申し訳ないです。
自分と向き合うことができるようになったのは、写真家になった2021年の4月からです。
写真を通して、ゆっくりと向き合ってきました。
しかし、まだ道半ばです。
今まで15年くらい使ってきたわけですからね。簡単にはなおりません
「アイツあんな些細なこと覚えてるのかよ」って言われて封じ込めた過去の記憶。
「君がやったって言うんだから謝りなさい」と認めてしまった無実の罪。
そういうのと向き合うのって辛いね。
でも今は、そんな過去を送ったからこそ撮ることができる写真があるのではないか。
そこに僕の世界があるのかも。
そう思うようにしています。
今でも自分って何だろうって迷うことも多いけれど、それが生きてるってことなのかもしれませんね。
1人で悩まないで、一緒に悩みましょう。答えは誰かが持っているわけではない、自分が気づかないところにあるはずです。
これを読んでくださった方が少しでも何かを感じてくれたら嬉しいです。ありがとうございました。