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新卒入社で手に入れた「安定」を捨て、人生と向き合う
「じっとしてると、ろくなことにならないよ。」
耳元で小さく誰かが囁いた。
2年後、私は26歳を迎える年に新卒で入った会社を辞め海外に挑戦する。
私は今、人生の岐路に立たされている。
人生のイベントである、就活や転職、結婚や大切な人の死、何かあったかと言われれば何もない。
そのためどちらかと言えば、「立たされた」という表現より「立ちに行った」の方が正しい。
いろんなことをきっかけに、真剣に将来と向き合うことにした。
以前書いた夢に関しての記事で、私の現在の職業はシステムエンジニアだが、就きたかった職業は英語に携わる仕事ということを書いた。
今でもその夢は心の片隅に存在し続けている。
しかしその夢を追いかける勇気がないのも事実。
実際に今の安定した職を投げ出してまで、やりたいことなのかと言われたら、100%の気持ちで「はい」と言えないのが現状。
人生について考えすぎた末に生まれた一時的な感情の可能性も否定できない。現実逃避したいがための感情という可能性もある。
現在の仕事に対してやりがいを感じないわけではない。実際に私が関わったプロジェクトはもう世の中に出てるし、システムが導入された病院で多くの命を救っているかもしれない。そう考えると今の仕事はやりがいしかないと思う。作成したものが形として残る仕事だし、いろんな人の人生を豊かにできる可能性を持ち合わせている。人に誇れる仕事をしている。
でも、これが本当にやりたいことなのだろうか。「好き」を仕事にするのが一番いいんだろうけど、世の中「好き」を仕事にできている人のほうが少ない。「好き」を仕事にできるほど世の中甘くないということも知っている。
それでも、挑戦したい気持ちがあることも事実。
挑戦するということは、今まで乗ってきた「世間一般的なレール」から外れることを意味する。下手したらこの選択が悪い方向へ進んでしまうリスクのほうが大きいのかもしれない。そんなことを考えただけで震えが止まらなくなるし、その場から一歩も動けなくなる。
ありとあらゆる感情が、人生のしがらみが蔦のように私の足に纏わりつき動けなくなっていく。現状に不平不満を抱いたまま、私はここで終わっていくのだろうか。
そんな恐怖と戦いながら、纏わりついた蔦をゆっくりと外しながら、
私は再度、夢を追いかけてみたい。
私は夢をかなえる一歩目として、社会人留学・ワーキングホリデーに挑戦したい。
私の親戚にニュージーランドやカナダに住んでいる人がいる。相談したところ本気で考えてるなら協力は惜しまないと言ってくれている。このチャンス、逃すわけにはいかない。
しかし、現在の日本では社会人のワーホリや留学は「現実から逃げた人たち」という目で見られるらしい。学生ならまだしも、社会を経験した大人が行くことはネガティブなイメージとして捉えられる。
もともと留学したい気持ちはずっとあった。幼稚園の時にフィリピンの一年制の幼稚園に通ってたこともあるし、小学校2年生は丸々一年フィリピンの小学校に通っていた。フィリピンの環境に慣れすぎて日本語で自分の名前を書けなくなったこともあった。
ただただ、漠然と留学したいなと思っていた高校・大学時代と違い、今は将来を自分で選べる社会人だ。
社会人になった現在、自分で稼げるようになり割と生活にも余裕が生まれつつある。
お金がないから留学は無理だなという言い訳はもう通用しない。
全ては自分との勝負。他人の意見なんて関係ない。どれだけ弱い自分と向き合えるか。ただそれだけ。
分かっている。学生の留学やワーホリとは根本が違うこと。社会人の留学やワーホリは語学習得だけでは許されない。海外生活を通じて何をしてきたか、何を経験し、成長したかが重要なこととなる。また就活みたいな辛いイベントが待っていると思うと心が折れそうになる。帰国してからの転職なんてさらに辛いものになることは明白だ。社会を経験していない学生のころの就活とは比にならないぐらい辛く厳しい現実が待っているだろう。
世間一般的に見たら、社会人になってから海外に挑戦することはハイリスクローリターン。挑戦して失敗する人の方が統計的には多いらしい。
新卒入社で手に入れた、「安定」を捨てることは、すなわち人生の「安定」を捨てるも同然。
この選択をしたことによって、私は路頭に迷ってしまうかもしれない。光の見えない道を進むことになるかもしれない。
そうなったら私の人生はおしまいだ。「安定」を捨てていなかったら、出世していたかもしれない。そのまま日本で暮らしてたら、結婚できていたかもしれない。仕事を辞めていなかったら、こんな人生になっていなかったのに。
でもそんなこと考えたところで答えは出ない。
その行動にどんな「意味」を持たすかが重要である。
私は自信を持って働きたい。
なんだかなぁと思いながらやる仕事に未来はない。
私自身がこの仕事をしている自分が好きだなと自信を持って言える仕事を、働き方をしたい。
noteを続けてきて分かったことがある。
私には行動力がある。変わろうと決意してからすぐにジムを契約し、読書のためにたくさんの本を買った。今まで何事に対しても三日坊主になりがちだった私が3ヶ月、継続できているという事実。
そして、追い込まれてから真価を発揮するタイプということも知れた。
海外に行って1番苦労することはおそらく人間関係だろう。同じ言語を話す日本でさえ人間関係が良好とは言い難いのに、海外へ行ったらそこはもう私の知らない世界が広がっている。
生活・人間関係・価値観、何もかもがリセットされてしまう世界に一人で放り込まれる。正直恐怖しかない。不安しかない。孤独に耐えられる自信がない。
でも、そこまでしないと私の弱い心は変えられない。私は私を変えるために行動する。
自信を失っている今だからこの感情が生まれているのかもしれない。一年後、筋トレで自信をつけた私の頭にはもしかしたら「海外」の二文字は消えているかもしれない。自信がついた故に消えたのであれば、それは「逃げる」ための「海外」だったのだろう。
そして、今の私はおそらく「逃げる」ために「海外」へ行こうとしている。
だからここから1年、私はお金をためながら、本当に夢を追いかけたいのかを見極める期間に入る。
じっとしてると、ろくなことにならない。なら行動するしかない。行動した結果、「逃げる」ための「海外」が、「夢」のための「海外」に変わるんじゃないかと信じてひたすら前へ。
巨大な不安が私を蝕んでいく中、何故だろうか、明るい未来しか想像できない。
学生時代のテスト前日の、ノー勉だけど「なんかいけそうな気がする」と同じような根拠のない自信がふつふつと湧いてくる。
「お前の選択は間違ってないよ。」
未来の私がそう言っているような気がする。
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「あいつ、会社辞めて海外行くらしいよ笑」
「まじで?社会人やめて海外とかバカかよ笑 人生棒にふる気かよ」
「でも全てを捨ててまで行く潔さ、なんかかっこいいよな」
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「人生、何事も経験だよね。」
なんて恐ろしい言葉なんだろう。
でも、この言葉のおかげで前に進める気がする。
働いている自分を好きになること。
これが「私らしいはたらき方」なのかもしれない。
「私らしいはたらき方」をできるように、
私は全てを捨て、「人生」に挑戦するのだ。