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サラダ菜という名前は酷すぎやしないか?

「サラダ菜」が不憫だ。
彼は、サラダに使われる前提でこんな安易な名前をつけられてしまっている。

このサラダ菜という名前のせいでサラダ以外には
使えない感がある。

この名前のせいで自身の無限の可能性を狭めてしまっているんだ。

悲しいのはそれだけではない。

この類を見ないイレギュラーな名前のせいで
他の野菜たちからは
「そんな名前ありかよ!」
とツッコまれていることだろう。

キュウリやトマト、キャベツら
サラダに使われている他の野菜たちからは
「サラダに使われる野菜でサラダ菜なら
俺達もサラダ菜だろ!」
と糾弾されてもいることだろう。

これだけでも充分悲しいが、
もっと悲しいことがある。

それは、サラダ菜という名前なのに
最近ではサラダに使われることがめっきり減ってしまっているという点だ。
最近では上にあげたキュウリ、トマト、キャベツ
の方がよくサラダに使われる傾向がある。

これではどっちがサラダ菜なのか分かりやしない。

まさしく私の存在意義は何なの?状態なのである。

サラダにあまり使われなくなったサラダ菜が
いま現在どうなっているかというと

最近ではサラダではなく、
豚の生姜焼きやハンバーグといった
メインディッシュを引き立てる為の
ただの添え物になったり
ただ見栄えを良くするためだけに
大皿の上に満遍なく
敷かれたり等の扱いを受けている。

もう彼はサラダ菜としての威厳を
失っていることだろう。
いや、もしかしたらサラダに使われ無さすぎて
もう自分がサラダ菜という自覚さえも
その自身の記憶から
無くなりつつあるのかもしれない。

こんな状態でサラダ菜を名乗るのも
もう限界だろう。

そろそろ「サラダ菜」は死語にして
「敷かれ菜」に改名するべきだ。

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