空想短編小説:真夜中の温泉15
あっけらかんとした男の変わりように、ぼくは口をあんぐりと開けたまま固まった。
「おい、安心してくれ。君と君の家族の個人情報はバラさないようにする。あくまでも参考にするだけだから」
男はそういって大粒の涙をタオルで拭うと、「素晴らしい……」と何度もつぶやいては体を小刻みに震わせるのだった。
「おいおい、そういや、さっきの話をもう一度詳しく聞かせてくれよ」
男は思い出したようにポンと右手で左手を打つと、亀のように首筋を伸ばしながら顔をぼくに近寄らせた。
のけぞるように後ずさりしながら、ぼくは聞き返した。
「なんのことですか?」
「おいおいおい、大草原のアルマジロの話だよ。心温まる物語がどうのこうのっていってたじゃあないか」
明るい表情で瞳を潤ませながら「ふっふっふっふ」と笑う男の鬼気迫る様に、事の重大さが分かったぼくも真面目に答えた。
「分かりました。もう一度思い出してみますね……」
ぼくは、ついさっき浮かんだインスピレーションを一生懸命思い出そうと、精神を集中させるために目を閉じた。
真っ暗な暗闇の中央に、一筋の光が見える。やがてゆっくりとその中にひとつのシルエットが浮かび上がった。
「ん……?」
それはアルマジロとは違った。
人間だ。かなり体が大きい。着物を着ている。
髪型は四角いリーゼントだった。
その直後、ぼくは叫び声をあげたくなる衝動をやっとの思いで押さえた。
そのとき脳裏に浮かび上がったのは、ぼくが幼い頃にお茶漬けのCMにも出て大人気だった元大相撲力士のレジェンド、高見盛だったのだ。
それだけではない。なぜかリーゼント姿の高見盛は、顔や上半身を両手で叩くお馴染みの仕草をしたあとに、すぐさま軽快なテンポでパラパラのダンスを踊りはじめたのである。
氣志團だ……。
それは、氣志團の曲に合わせてパラパラを踊る高見盛の情景だった。
「違う……。これじゃない!」
ぼくの見ようとした景色は、夜空の下、月明かりに照らされる大草原の中で、ハートウォーミングな冒険譚を繰り広げる2頭のアルマジロだった。
なのに今、頭の中に浮かぶイメージはそれとは掛け離れすぎている。それに、全然関係ない現実の高見盛と氣志團にも申し訳ない。
「おい、どうした? 急に顔が青ざめてきてるぞ」
男の心配そうな声に、ぼくは開いた目をそらしながら返事をした。
「いや、なんでもありません」
「おい! ちゃんと目を見て答えろ!」
男は、ぼくの肩をがっしと掴むと、真剣な表情をして声を張り上げた。
「お前はさっきから、しょっちゅうサングラスをかけたり、目をそらして話すな。それじゃ伝わらないぞ! 大切な会話をするときは、相手の目を見て話せ!」
いわれてぼくは、男の目を見つめた。
男の目は、怖いくらい真剣で、これ以上ないというくらい透き通っていた。
その中に、自分の姿が小さく映って見える。
そのとき、ぼくは気づいた。男の瞳の奥に、ぼくの背後の生垣の間に、木の葉が揺れ、なにものかが動いているのを。