サブカルインプレッションうちあけ話

昨年11月の「序」を皮切りに、サブカルインプレッションをnoteではじめて間もなく4ヶ月になります。

僅かながらも読者が増えて、読んでくださった方から有り難いリアクションもいただき、物書きのはしくれとしては大変励みになるとともに、これまでの投稿にいくつかの悔いと反省点を感じています。

そこで今回は、自分が書いたサブカルの投稿の裏話を、やや寸評スタイルで書き記してみたいと思います。

★いがらしみきお「Sink」を再読してみた

サブカルの投稿第1弾。全3回。①②は初回としてはまずまずのものが書けたのですが、③のまとめで若干モヤモヤが。

・「ぼのぼの名言集・上」に収録されている、いがらしみきおさんと東野幸治さんの対談から一部を引用しようと思っていたが、③を書く前に松本人志さんを巡る報道。松本さんは、元々世間一般ではいがらしさんより知名度・影響力があり、なおかついがらしさんのファンを公言する著名人の1人。自分は「ぼのぼの」及びいがらしさんのファンだが、特に松本さんのファンというほどではない(勿論アンチでもない)活動休止を発表したばかりの1月の時点で、松本さんの同胞ともいえる東野さんとの対談を引用するのは、読み手に余計なイメージを与える可能性が高く、(別に引用しても問題はないのだが)今回は差し控えることにした。
・マクドナルドで大方を一気に書き、帰宅してからまとめて投稿したのだが、公開後にいくつかの文章の不備が見つかり、何度も微調整を重ねて加筆改稿。途中まで上手くいって、反応も良かったのに、最後の最後で(②と③の)間をためた挙句にあわてて最後のクオリティを落とすというミスは、個人的にこれまで何度も経験しているものである(FBの投稿、連載小説の最終話etc.)
・②で指摘した、キリスト教の原罪を想起させるストーリーの読解部分を掘り下げるのがやや薄くなってしまった。作中、駿の偏りや傲慢さを強調する描写についての大事な言及を忘れてしまい、人間愛に焦点をあてて我ながら白けるオチになってしまった点は否めない(そうしたところも加筆改稿した)
・読者対象をだれに設定するのか、という点で考えすぎ、する必要のない忖度をしてしまった。この回はなぜか女性の読者からのリアクションが多かったため、若干過激な表現を遠慮したり、いがらしさんの近刊「IMONを創る」の発行元の出版社さんからスキをもらったため、万が一作者や関係者も目を通すかもという心配から、あまり本作の否定的な部分に対する批評は控えたりした。また、キリスト教の伝道目的と思われたくないため、本論の結論部分にも苦心した。
・無意識に、いがらしみきおさんの文体の模倣が出てしまった(〜するタチという表現は日頃あまり使わない)また、②を書いたあとの1月に、アリ・アスター監督の映画(まだ1作も観たことがない)に関する一般のレビューを読んで、若干影響を受けてしまったかもしれないところがある(ユダヤ系の監督で、東北出身のいがらし作品とは直接の関連性は多分ない)

★令和の時代に赤塚不二夫「レッツラゴン」を考える

サブカルの投稿第2弾。赤塚ギャグをレトロとしてではなく、現代社会にも通用する笑いとして紹介を試みたつもりだったが…

・宮藤官九郎脚本のドラマ「不適切にもほどがある!」(TBSテレビ)をNetflixで1〜2話だけ観たあとだったためか、令和と昭和の価値観の違いにポイントを置いた(ちなみに3話以降はまだ観ていない)結果的に、「レッツラゴン」について若干厳しめの文章になってしまっている。
・赤塚不二夫さんのマンガを知らない人にその魅力を伝えようとして、あえて客観的批評を試みたのに、かえって欠点がクローズアップされてしまい、うまく赤塚マンガの面白さを紹介しきれなかった(作品背景を知る上では、おそらく赤塚さんの自叙伝「これでいいのだ」が1番参考になる)
・前の回(いがらしみきお「Sink」を再読してみた)がキリスト教寄りになりすぎたかもしれないと案じ、あえてキリスト教とは絡めずまとめてみたところ、オチに「魁‼︎クロマティ高校」帯文を取り上げ意味不明なグダグダで終わらせてしまったため、逆にキリスト教のエッセンスを期待した読者からは肩透かしを与えたのではないかとの危惧の念。
・「レッツラゴン」ごま書房版の4巻以降も、たとえば「続・ああ無情」で水島牛次郎を「アニキ」と慕う擬人化された薔薇のキャラの登場など、印象的な場面がいくつもあるのを思い出した(笑いと人権、差別の問題は掘り下げると長くなりすぎるため、今回は控えたい)
・今回は再読していないため、最初に本作を読んだときの印象ではなく、遠い記憶を辿った上で今の印象から多くを論じたため、全体的に良い子ぶった書き方と捉えられてしまったかもしれない。それにしても過激なマンガではあるが、切り口が難しかった。
・直接の関係はないが、子供の頃通った幼稚園を母体とした教会の母子室にウナギイヌのぬいぐるみが置いてあった思い出を書きたかったが書くのを忘れた。

★ロビン・ウィリアムズといえば「ストーカー」

サブカルの投稿第3弾。ようやく読み手との双方向性に手応えを感じた回。ただ…

・ロビン・ウィリアムズといえば、実際は「ストーカー」以外の映画のほうが、より一般的に知名度があって愛されている作品が多いところも確か。「ストーカー」は邦題もさることながら、通常みんなが知っている、みんな大好きなロビン・ウィリアムズの個性という大前提があった上で享受されるような面白さと悲哀がある。
・現在では、広い意味でのメディア・リテラシー(読解、識別力)が世間一般で非常に高くなっているように感じられる。マスコミで作られたイメージがそのまま真実とは限らず、ときに断片的だったり偏見であるというテーマやモチーフは今や特に目新しいものではない。それでも書いてみたかったから書いたものであり、比較的地味にまとまった回として特に心残りはない。
(1弾、2弾で書ききれなかったテーマ、切り口を結果として補足することもできた)

という感じでした。
以上、3つの作品及びクリエイターを取り上げた投稿を通しで読み返してみると、全体的に共通したテーマが浮かび上がってきます。
それは、わざわざ書くまでもないと思いますので、割愛します(なんでやねん)

基本的に、このサブカルインプレッションのシリーズは、いうまでもなく自分が好きなもの、愛好しているものについて取り上げていますが、自分が面白いと感じるものを面白く紹介するのはとても難しいと分かりました。特に、視覚に訴えるマンガや映画、音楽は、文章化できないそれぞれの文法や魅力があります。

理屈っぽくなっても、感覚的になっても、どっちにしても伝わりきれないものがあるかと思います。

さらに自分はクリスチャンなので、その中に信仰の視点を加えて福音を紹介したい、という思いももっているものですから、悲劇や不条理、怖い話をただ悲劇や不条理、怖い話として楽しみたい方にとっては、非常にめんどくさいと思われると思います。

また、立て続けにメジャーな人たちのマイナー寄りの作品(しかもどれも日頃友達と分かち合う機会が非常に少ないようなものばかり)を取り上げてみましたが、特にあれだこれだというようなジャンルやカラーには囚われず、これからも気になる作品、作家、アーティスト等について、心の澱をアウトプットするようにとりとめもなく書いていきたいと思っています。

以上、お読みくださり、ありがとうございました。

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