上馬さんこんにちは③
上馬さんに親しみを覚えながらも、本を2冊読んだだけで、1年半の歳月があっという間にすぎていました。
時はコロナ過。教会ではオンライン配信もはじまり、時代が大きく変わりつつあった頃です。
当時の私は、教会や(自分を含む)クリスチャンの理想と現実のギャップと閉塞感があまりにも大きいことを知らされ、現状打破、外へ開かれた伝道がしたいと、漠然と思いつつ何もできずにいました。
その頃から、上馬さんのツイートをGoogleで日毎に検索していたのですが、その頃の上馬さんがシェアしていた記事を読んで、心動かされたのです。
はじめは、「今日は何の日」で「電波少年的懸賞生活」のなすびさんを取り上げたものでした↓
私は小学生の頃、日本テレビ系列の「進ぬ!電波少年」及び、なすびさんのファンだった時期があります。
最近のインタビューを読むと、「電波少年」出演当時の本人は命懸けで、申し訳なく感じますが、介護問題で両親の関係が荒れた一時期、訳の分からないことを平気でやっているテレビ番組の娯楽にある種の救いを見出していました。
実はクリスチャンになってから、そうした世俗的な話題を聖書と絡めて取り上げるキリスト教メディアは、それまで水谷潔先生の「命と性の日記〜日々是命、日々是性」というブログしか知らなかったので、教会のアカウントが電波少年を語るというだけでも万々歳の思いでした。
さらに、私は上馬さんが赤塚不二夫さんを取り上げた記事をシェアした投稿も目にします↓
私は小さな頃から、親に膨大な量のマンガを買い与えられ、赤塚先生のファンでもあったので、赤塚先生支持を表明する教会アカウントというのはとても新鮮でした。
しかし、それだけではありません。
ちょうどその頃、上馬さんのまじめ担当の方の単著が、ダイヤモンド社から発売され、書店で平積みになったりしていました。
店頭でパラパラとめくってみると、末尾に「キリスト教をもっと深く知るためのオススメ本」というページがあり、その中に加藤常昭先生の「雪ノ下カテキズム」も入っていました。
この本は、私の親が間違えて何冊も買い込み、余りを1冊もらって持っていたものですが、名著という認識でした(読んでいませんでしたが)
というわけで、上馬さんはただゆるいだけじゃなく、根っこがしっかりしているんだなという信頼感が生まれ、ようやく自分も上馬さんのフォロワーになろうと思ったのです。
それでX(旧ツイッター)を最初に使いはじめたのが4年ほど前のことでした。
さて、Xをはじめてからは、まじめ担当の方とふざけ担当の方の快進撃をリアルタイムで目撃することになるのですが、そんな上馬さんのことを身近なクリスチャンはどう受け止めていたのでしょうか。
ざっくり簡易にまとめてみると、基本的に上馬さんに好意的・寛容なものが大多数で、あまりよく知らないという人も多い印象でした。
一方で、「だれそれの◯◯が、アーメンをほんまそれと意訳したツイートに怒り心頭だった」という話も聞き、ゆるくみことばの本質を伝えるのは良いとしても、(受け手が)それだけで止まってしまうと勿体ないのかもなと少しばかり考えさせられます。
今回は最後に、私がある教会の友人に、初めて上馬さんのツイートを見せたときの反応を紹介します。
その友人は微笑を浮かべて即座に「これは●●●●ですね」といったので、私は慌てて上馬さんの心情を代弁的にフォローし、その場は「それなら、まあこういうのもありなのかもしれませんね」といわれて事なきを得ましたが、それくらい上馬さんのツイートはときに先鋭的でクリスチャンをざわつかせるものです。
そこで次回は、神様から笑いの賜物が与えられている上馬さんが挑み続けているお笑いによる福音宣教という困難な道を自分なりに掘り下げてみたいと思います(主にありて)