上馬さんこんにちは⑥
私はクリスチャンホームに生まれ育ちました。
23歳のときに、自分の中の原罪を自覚して、イエス様にすべてをお任せして洗礼を受けました。
洗礼(バプテスマ)とは、ざっくりいうと「イエス様を自分の救い主と認め信じます」ということを神と人の前に公に宣言する式のことです。
その後、家族や友達をキリスト教の集会や教会のイベント・礼拝に誘ったり、自分なりに証や福音を伝えようとしてきました。
また、古い知り合いともつながりが持てるFacebook(FB)を使いはじめ、通算11年半続けています。
教会では、青年グループのサブリーダーを任されたのち、やがて新しいチームのリーダーに昇格しました。
そこで、社会問題やサブカルを聖書の視点から話し合うというコンセプトを採用してスタートしたのも束の間、思い返してもリーダーとしての資質に欠けるところが多く、コンセプトのリニューアルを迫られ、さらにメンバーから苦情が相次いで4ヶ月で解散、別のチームのサブリーダーに降格となったのです(これが6年前の小さな挫折でした)
一方、それと重なる時期に、どういうわけか教会でよしもと新喜劇のパロディを上演することになり、私もヒール役で参加することになります。
そこで、何を言っているのかよく分からないチンピラの親分役が大当たりして、教会は爆笑の渦に包まれたのです。
この体験が、お笑いはチームプレーであることを肌で実感する、6年前の小さな成功でしたが、そのとき私は、お笑いを通じてイエス様を伝えることに初めて手応えを感じました。
私がそのときいった具体的なセリフは、「イエスさんはいわはった……『おはよう』」と「ワイは、イエスさんにゆるされたから、おまはんのこともゆるす」です(どちらもエセ関西弁で話す)
当時、脚本を書いた某兄弟は相当お笑い好きなクリスチャンでした。
その新喜劇から約1年後、コロナ禍になり、なかなか会えない友達も増えたことから、FBでお笑いをやろうとやりはじめます。
ところが、「説明と省略があべこべ」「突き抜けていない」「意味不明」などの批判に晒され、ある友達とは4時間も長文のLINEで意見交換をするほど当初は難航を強いられました。
そんな中、お笑いで独自路線を走り続ける上馬さんの働きは、私にとって良い刺激になると同時に、「自分はまた違った形で面白いことをやりたい」との思いを一層強くし、さまざまな試行錯誤を繰り返して今に至っています。
そんなわけで、子供の頃から面白いことが好きで、絵本を作ったり、マンガを描いたり、作文や童話を書いて身近な人を笑わせることが好きだった私は、色々長短あるものの、上馬さんの等身大の活動を擁護・支持しない訳にはいかなかったのです。
しかし私は、職場や教会の人を意図的に笑わせたことは今まで皆無といっていいと思います。
FBでもスベり続け、私と同レベルで上馬さんを推す知り合いも身近にほとんどいない現状の中、上馬さんに見習いたいことをリストアップして行こうと思います。
まず最初は、
・上馬さんは打たれ強い
ということです。
上馬さんのXは、日々さまざまな意見に晒されています。
以下は、そのごく一部(日時順不同)です(信者・未信者は問わない)
ではここで、作家としても活動される、まじめ担当・MAROさんの単著から少し引用します。
ゆるいツイートとは裏腹に、中の人の意外な一面を読み、私は目に見えるところだけで分かるのはごく一部だとあらためて感じました。
ふざけ担当のLEONさんも、ある対談で次のような思いを語っておられます。
確固たる芯とビジョンを握っているからこそ、上馬さんはたとえ外野からどれだけ色々なことをいわれたとしても、10年近くも平常運転を続けることができるのかもしれません。
「自分の弱さを誇る」
私も最近、職場で「鋼のメンタルだね」といわれたのですが、上馬さんの弱さを強さに変える姿勢は親近感を覚えると同時に、自分もより一層見習いたいクリスチャンとしての態度のひとつです。
・・・つづく