日本の医療DXの現在位置(2024.3.)
2023年末から年を明けてこの2月まで、今までにないくらい病院を往復することになった。
最初は、弟の急逝から始まった。
弟は友人宅に宿泊中に心筋梗塞を発症、救命センターに運ばれたが脳梗塞を発症しており、脳浮腫からの脳死。この間12時間程度だった。そして、臓器提供に移行し、遺族として様々な手続きに立ち会った。
帰京後、僕の方が体調を崩し、今までにない不思議な喉の痛みから、耳鼻咽喉科や呼吸器科を転々とする。結果的に異常なし、原因不明で経過観察。
そして2月、スキーで前十字靭帯を断裂。今度は接骨院から大学病院をたらい回っている(イマココ)。
まず、これらの経験の中で共通しているのは、患者側は、圧倒的に紙と手続きの世界が続いていることだ。
弟の件に関しては、手術や検査に関する様々な同意書、高額医療の手続き、などなど。
僕の喉の件では、毎回書かされる問診票と、いつも無くしてしまうお薬手帳。
膝の場合も問診票は毎回。紹介状とレントゲンデータを持って転院のたびに同じ説明をし、またレントゲンを撮る。
厚労省(2020)によると、電子カルテの普及率は400床以上の大病院で91.2%、200床未満の小病院では、48.8%、一般診療所は小病院よりむしろ多くて49.9%だそうである。
実際、今回僕が関係した下記の病院は全て電子カルテが入っていた。
・某中核医療病院(北海道)
・某総合病院(群馬)
・某呼吸器クリニック(群馬)
・某耳鼻咽喉科病院(群馬)
・某整骨院(北海道)
・某小規模整形外科(群馬)
・某中核医療病院(群馬)
・某大学病院(東京)
つまり、すべての病院において、僕(と弟)の医療情報はデータ化されていた。でも、すべての手続きは口頭問診と筆記によって成立し、転院の際の紹介状もレントゲン写真なども手持ち持参である。
病院間のデータ転送の仕組みはなく、僕(や弟)の医療履歴を一元化するIDは存在していない。
厳密に言えば健康保険証がそのIDにあたるはずだが、そのIDに僕(や弟)の医療情報は紐ついていない。
言い方を変えると、医療情報をシェアできるデータベースが存在していないので、異なる医療施設(もしくは医師)間のデータ授受は紙か媒体(CD-Rなど)となる。つまり、データ交換に関しては、計算センターやホストコンピューターと現場の端末間のデータ移動を物理媒体で行っていた1990年代の企業や自治体と変わらない状況である。
おそらく、医療情報は極めて秘匿性の高い個人情報なので、データ転送による漏えいリスクの責任を医療施設が持ちたくないというところだろうか。
厚生省がやっていること:データ交換
この状況に際して、厚生省は何か手を打っているのだろうか?
ざっとみて目に止まるのは「医療情報の標準化」という言葉である。厚生労働省はデータマスタの標準規格を出している。HSで始まるこの番号は、主要な医療情報に関するデータの書き方の決まりを表す。逆にいうと、ここに定義されていない医療情報のデータは、各ソフトウェアメーカーで規格がバラバラということだろう。
つまり、現状浸透している電子カルテがオンラインでデータ交換するには、何らかの共通規格が必要だが、まだそれはないということか。
厚生省がやっていること:ID
IDに関しては、マイナンバー+健康保険証という動きが進んでいる。PHR(Personal Health Record)というコンセプトのもと、出生から現在までの生涯医療履歴を保管し、共有できるようにするというものである。そして、これと並行してEHR(Electric Health Record)やEMR(Erectric Medical Record)というものがある。PHR, EHR, MHRは10年以上前から世界で提唱されている医療データ管理のコンセプトであり、欧米やシンガポールなど、すでにデータ交換環境が構築されている国もある。
ややこしいので、一旦用語整理すると下記のようになる
EMR(電子医療記録)
医療従事者による診療記録
電子カルテのこと
病院施設の情報管理効率化が目的
医療機関間のデータ交換は想定されていない
EHR(電子健康記録)
医療従事者による診療記録
電子カルテを交換可能にするもの
複数病院間のデータ利用効率化が目的
医療機関および患者とのデータ共有を想定
PHR (個人健康記録)
医療従事者による診療記録の一部(往診履歴、病名、処方、検査履歴、母子手帳、健康診断結果など)および医療従事者以外による健康情報(学校、自治体、企業などの健診・予防接種履歴など)
個人のすべての医療履歴を個人が保有し、罹患・負傷時に医療機関側にスムーズに情報提供できるようにするもの
患者本人に主要データサマリと詳細データを引き出すキー(ID)を渡すのが目的
患者がデータ(キー)を保持し、必要に応じて参照、医療機関に共有することを想定
整理すると、浸透率50%と言われている電子カルテの情報はEMRであり、これらはあくまで病院単体の業務管理効率化のためのデータである。
このデータを交換可能にするために一定のルールでまとめるのがEHRであり、医療DXと言われるものの中核データになる。専門的な様々な診断情報や検査結果、手術の術式や予後の履歴、投薬履歴などの患者の治療履歴全てのデータが、複数の病院を跨いで共有可能になる。おそらく紹介状そのものやレントゲン/MRIなどのデータもEMRによって転送可能になるだろう。
PHRはEMRに自治体健診や予防接種など、医療機関以外での往診履歴を加えたものであり、個人的な予防や健康維持に役立てつつ、受診時には医師に過去の健康履歴情報を提示することで、より正確でスピーディな診断を可能にする。さらにいうと、母子手帳やお薬手帳もPHR化され、スマホアプリなどで管理可能になる。
https://www.mhlw.go.jp/content/10904750/000891495.pdf
マイナンバーはPHRのキーになる
ここまで調べてみて分かったのがマイナンバーカード及びマイナポータルの最近の動きである。
現在、マイナンバーカードと健康保険証は紐付け可能になっている。これは、「健康保険証の代わりにマイナンバー1枚で済む」という話ではなく、マイナポータル上でPHRを閲覧できることと、医師への情報提供を高速化するということが最大の目的であろう。厚生労働省視点ではね。
確かに、国保税の徴収を厳密化するための増税メガネ施策、と見えなくもないが、多分、国保未払いでもPHRはワークする。
身内の恥で恐縮だが、他界した弟は国保未払いであった。市役所に掛け合って1ヶ月単位での臨時保険証を出してもらい、彼の医療費は保険適用で済んだ。1日100万円かかるエクモが高額医療扱いにならなければ患者だけでなく病院も困ってしまう。ちなみにアメリカの治療費がクソ高いのは、ばっくれるやつも多いからでもある(この話はまた機会のある時に)。ともあれ、マイナンバーと健康保険証を統合することでPHRが使えるメリットが手に入る。デメリットとして国保税から逃げられないリスクがあるが、最悪払えなくてもPHRは使えるし、未払い分は市役所と交渉すればよい(収入が少なくなった人には支払い猶予があり、場合によっては減額精算もあるらしいし、臨時の場合は単月保険証も出してくれる)。
医療機関ではまだデータ交換が進んでいない
少なくとも、北海道と群馬では、EHRが稼働している体験は一度もなかった。紹介状は手持ちだし、毎回問診票を書く。診察券は山ほど溜まり、マイナンバーカード(保険証連携)の提示要求は一度もなかった。
だから、毎回似たような検査と問診を受けるし、ヘタをすると無駄な薬を大量にぶちこまれる(呼吸器科にかかった時、アレルギー検査でオールクリアにも関わらず大量の薬が処方された)。
おそらく、2022年度中稼働といわれたEHRのデータ交換環境整備が進んでいないのだろう。電子カルテデータのEHR変換にコストと時間がかかっているのか、データ交換用の中間サーバがまだできていないのか、はたまた、マイナンバーカード対応の受付システムができていないのか。もしかしたら東京や政令指定都市圏では進んでいるのかもだけど。
ともあれ、今回も政府はDXへのアプローチをちょっと間違っている。
PHRのコンセプトは利用者(患者)の価値目線なのでわるくない。問題は、町医者などの小規模病院・診療所が安価に利用可能な医療クラウドが浸透していないことである。
町医者のMHR対応が医療DXの鍵
2023年11月から、原則として中核医療施設(検査や手術の設備が整った、地域医療の中有心的な病院)以上の施設には初診ではかかれない。「かかりつけ医」制度と呼ばれるこの仕組みは、初診をなるべく町医者にして、中核医療以上の負荷を分散するためのものだ。ちなみに、7000円の初回手数料を払うといきなり中核以上(大学病院含む)もOK、とはなっているが僕はそれでも断られた。そのくらい、中核以上の医療現場のリソースは逼迫している。実際、月曜日の午前からものすごい数の老人が待合室を席巻していたし、駐車場はパンパンである。なので、緊急じゃない場合は町医者に行ってくれ、は現状しょうがないと思う。
一方、その町医者は電子カルテ(EMR)の浸透率が50%程度であり、交換前提のEHR対応は皆無に近いであろう。故に、せっかく町医者で1クッションいれて初期診断をしても、その情報は共有されないので、中核病院でまた同じ検査や診断をする。医師の作業効率は全く上がっていないので、時間稼ぎにしかならない。また、町医者で十分な治療を中核で受け続ける(再診だで患者は信頼できる先生にくっつく)人たちが町医者に流れ、投薬メインの慢性疾患者なら処方箋薬局に直接流れないと、医師の負荷分散にはならない。
電子カルテが交換可能になり、町医者のデータ授受環境が整えば、紹介状のやりとりはもちろん、重複検査や不要な投薬も必要なくなるだろう。また、リハビリや定期診断程度であれば町医者への逆紹介も簡単になり、中核医療以上の施設の負荷分散にもなるだろう。
なので、厚労省は「かかりつけ医」制度をやる以上は、最初からEHR対応を前提とした医療クラウドの町医者導入を強力に支援しなければならない。クラウドだから初期費が少ないSaaSのはずだし、データ移行費用は国が補助するか無利子で長期貸付してあげればよい。少なくともこれから10年、老人は増え、患者も増えるのだから、収益化と返済のリスクはかなり小さいはずだ。
地方と町医者によるリープフロッグを目指せ
これは、僕の土俵であるマーケティング領域でよく言ってることなのだが、おそらくDXをドライブするのは、中小企業や地方である。
デジタル技術がクラウド化されプラットフォーム化されることで、これまで資金難から導入できなかった中小企業や地方企業がいきなり最先端技術を利用できるようになっている。
逆に、大規模な企業は1980年代に作ってしまったレガシーに縛られ、莫大な移行コスト(お金や既得権など、いろいろ)のためにクラウドシフトに難航している。これと同じことが医療の世界でも起こっているだろう。
一方、一般企業と違うところは、医療システムには明確なヒエラルキーと役割分担があることだ。高度な医療は国立や大学病院が、これに準じて中核医療施設、軽微な治療は小規模病院や診療所などの町医者が担う。診療所がライジングして10年で高度医療を提供する大病院になることは、まずない。大病院は最初から大病院としてつくられる。また、日本の場合は国家の医療保険システムで統制されている。だから、このヒエラルキーをつなぐデータ交換の仕組みを設計するのはそれほど難しくない。もっとも重要なフローは、上(中核以上)下(町医者)のデータエスカレーションである。特に下から上の流れがうまく流れるなら、町医者への患者エントリーは増え、上層病院の負荷は分散されるはずだ。少なくとも、高度な医療が要求される診断の場合、紹介や診療予約の流れがスムーズになる。
田舎医療の闇から自分を守るPHR
ちなみに、田舎で一番怖いのは、評判の悪いヤブ医者が鎮座していることである。大抵市立病院だったりするからタチが悪い。だから違う街のいい病院ということで中核医療や大学病院に行きたがることになる。一方、どの医者にかかっても適切にエスカレーションされるとしたら、EHR対応の町医者に安心してかかるだろう。信用できないヤブ医者にはPHRが武器になる。患者が自らの医療データを握っているなら、セカンドオピニオンを利用しやすいし、そのようなオンラインサービスも生まれるだろう。医大閥でズブズブな地方医療コミュニティがあったとしても、第三者医療機関にEHRで医療履歴をシェアすることができれば、真っ当な診断を自ら評価判断できるかもしれないし、診断が信用されない医師や医療機関は敬遠されることになり、淘汰されるだろう。
PHRで患者側が診察履歴を握っていると色々楽になる。過去の診断や投薬履歴を提示でき、無駄な問診が減る。おそらく、オンライン予約時にPHRのIDを登録すれば、診療前に医師がデータ確認できるはずなので、診療時間を見積もることができ、待たされる時間も減るはずだ。必要な検査も事前にわかり、紹介状がある場合は省略されるはずなので、問診と治療の想定時間を読んでスケジュールを作れるはずだ。例えば患者は午前中で受診予約希望を出し、医師は事前検査11:00-11:30, 問診11:45-12:00みたいなスケジュールを組めるはずだ(急患対応で前後するかもしれないけど)。少なくとも紹介状を持って初診扱いになっても予約診療と同じ時間指定はできるはずである(大抵初診の場合は午前いっぱいor午後いっぱい待たされ、いつ呼ばれるかはわからない)。
医療DX推進に必要なこと
繰り返しになるが、町医者や診療所のMHR対応がキーポイントである。これがすすまないと、中核以上のボトルネックは回避できない。慢性疾患患者は中核以上にくっつき続け、初心待ちの患者は町医者で時間を食い、下手をすると重篤化するかもしれない。何より、町医者の信頼回復やブランディングは非常に重要になる。小さい病院=ダメという偏見は、特に田舎の老人間で根強い。そしてここの患者人口が一番多いのだ。彼らが安心して町医者にかかるためには、どの医療機関にアクセスしても正しい治療ルートに向かう仕組みの開発であり、それはデータエスカレーションであり、セカンドオピニオンやサードオピニオンの簡便化であり、そのためにデジタルを使うのだ。
今、厚労省やSIerは医療情報のデジタル化や可視化そのものをDXにしようとしている。
せっかく患者視点でPHRのコンセプトが始まったのに、いつのまにかマイナポータルへの情報一元化やデータ連携環境の話が中心になっている。やるべきことは大まかには外れていないが、一番肝心な患者への提供価値や信頼というポイントをどこかにやってしまった。だから「税金を確保のための増税メガネ施策」と勘ぐられ、敬遠されてしまうのだ。
厚労省関係者も政治家の皆さんも、一度病院をたらい回しになり、手続きに追われてみるといい。どれだけ時間と労力がかかり、猜疑心に苛まれるかを。素晴らしい先生に出会って、治療が完了したとしても、その感謝は医師にだけ向かう。国家の医療システムへの評価はクソなままであり、医療システム全体に患者が支払う労力は、たらい回しの分、むしろ増えていくかもしれない。そしてその時間は付き添いを含めた人々の生産時間を削ることになるのだ。
国だけじゃないんだけど、エンドユーザーの価値を見失ったDXは本当に無駄である。せっかくここまで来てるんだから、もうちょっと価値交換のストーリーを考えて欲しいものだと思う。