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【CO/002】いつかはVisionに。今はBeまで。

【column/002】

水上悟志の漫画「惑星のさみだれ」はご存知でしょうか。
すこし昔の青年漫画。
いわゆる世界を救うために闘う物語。

ただ、群を抜いて人物の描き方が丁寧な作品でした。
まるで一人一人が本当に生きているかのような。
あまり有名ではありませんが、私が好きな物語の一つです。

そんな「惑星のさみだれ」の登場人物に "白道八宵"という女性がいます。
彼女の何気ない台詞は、私の死生観に大きな影響を与えてくれました。

「いつ死ぬか分からないでしょ」
「だって生きてる限り死亡率100%だもの」

不確かな未来よりも、私は確かな今日を生きている。
そんな意志の表明に感じられたのです。

それと、ラテン語の警句にも近しい教えがありました。
「carpe diem(一日の花を摘め)」
「mement mori(自分が必ず死ぬことを忘れるな)」
どちらも意味するのは「今日を生きなさい」ということ。

かつての私にとって、それらの言葉は救いでした。

「いつか何者かになり、何かを成し遂げなければならない」
なぜかそんな強迫観念を長年抱えてきました。
それから逃げてもいいのだと、気が抜けるようになったのです。

でも、それらはきっと半分正しくて、半分間違っている。
今の私はそうも思います。

「この今日も、いつか未来も、同じくらい大切である」

今の私はそう在ろうと思っています。
ウコンの栽培を継承し、「一一」というブランドを立ち上げ、起業した。
その選択を選んだのは、未来への希望でもあり、今の私に必要なものでもあったから。


そして、ここからが本題です。

私にそんな信じるものが必要だったように、
組織にも同じく信じられる思想が必要なのではないか。
今にも未来にも希望を持てる思想。

ずっと考えていたそれについて、
ようやく言葉にできそうな気がしたので文章を残すことにしました。

何を信じ、何に希望を持つのか。
私たちは「物語をつづきつづけていく」ことに希望を持つと決めました。
その希望を携えてこの先の物語を歩んでいく。
これは、私たちの小さな決意表明の文章です。

「将来のあるべき姿」Visionとは

先日、とあるオンラインの講演で「企業のVision」について聴く機会がありました。その講義が恐ろしいほどに分かりやすく「在りたい姿」について理解を深める大きなきっかけとなりました。簡単にまとめながら書き進めようと思います。

まず、ビジョン(vision)とは『企業が持つべきとされる「将来のあるべき姿」を描いたもの』です。

そして、企業は3つの行動をするべきだと言います。
「自己実現」「利益追求」「社会貢献」その3つ。
「ビジョン=将来のあるべき姿」とは、その3つの真中に立てられるピンのようなものです。

あえて荒っぽく表現するなら、
「やりたいことをしながら、利益がちゃんと生まれていて、社会のためにもなっている」その軸にある姿がビジョンです。

講演の中ではそのように定義づけされていました。

それを聞いて目から鱗が落ちるような思いでした。
複雑に考えすぎていたのが明瞭に整理されたような。

しかし、言葉にするのはとても難しく、結局また諦めたのでした。

私たちにとってのビジョンとはなんだろうか。
「将来のあるべき姿」とは。
「今ありたい姿」はどうすればいいのか。

この講演は、それらの思考を深めていくきっかけとなりました。

「今の私たちの姿」を見つめ直す

将来のことは、一旦端に除けてみます。

まず、現在の私たち「一一」はどんな姿だろうか。
そんなところから見つめ直してみました。

例えば、
・一一さんから受け継いだ鬱金を大切にしたいと栽培に精を出している
・商品企画と製造をして興味深さを実感できた
・販売を始めてみて購入してくれる人がいると嬉しい気持ちになる
・夢中になっていたい。いつか、きちんと生業にしたい

そんなように。
楽しみながら、利益も見えるようになってきています。
これらは「自己実現」と「利益追求」には重なるのでしょう。

けれども、私たちの目に映るのは、私たちと身の回りの小さな世界だけ。
「社会のため」になっているかなど意識できていないことにも気づきます。

これでは、企業としての「将来のあるべき姿」などは見えるわけがない。

そんなもの必要ないのでは、そう思う人もいるのではないでしょうか。
でも私たちは、自己実現と利益追求だけの沼から抜け出したい。
その先に見えるのは、私たちには寂しい世界に思えるからです。

「今も未来もありたい姿」Beを見つけた


いつか友人が私たちに言ってくれた言葉がありました。

『一一は「つづきつづける」って感じだよね』

その言葉はすっと沁み込んで、ずっと頭の中に残っています。

つづきつづける。
私たちは、一一さんが始めた物語のつづきにいます。
そしてこの物語を、これからもつづけていきたいと思っています。
いつか未来も、誰かに繋げていければと考えています。

この言葉は、今も未来も含め私たちに似合っていると感じていました。

今も未来も。
それは私たちにとって大切な考え方です。
ビジョン(Vision)とは「将来のあるべき姿」を描いたものだといいました。

Visionが言語化できないのは、社会のため と強く言い張れない現状もあるけれど、将来だけでなく今も同じくらい大事だと思うからだと気づきました。

だから今の私たちはビジョンを立てないことにします。
いまでる言葉はきっとハリボテになってしまうから。
いつか将来の姿は、そのうちに。
いまは「今も未来もありたい姿」Be が丁度いいだろう。


こう在るべきは未だ見えずとも、こう在りたいは明確に見えている。

私たちはBeを「自己実現」と「利益追求」と「社会貢献」の真ん中に置いて、これからも「一一」をやっていく。

私たちのBeは「物語をつづきつづける」ことです。


一一さんから始まった物語は、私たちの物語へとつづきます。

私たちに栽培が受け継がれた物語。
事業化を志、思いがけない縁から初めての商品開発をした物語。
鬱金を栽培する先輩農家さんたちとの物語。

今も物語の中にいて、この先にも未だ見ぬ物語がたくさんあります。

栽培で試したいことが、鬱金でつくってみたい商品がたくさんあります。
これからも壁にぶつかって。
時には運命的な出会いに遭遇したりするのでしょう。
新たな物語はこれからも生まれていきます。
その未来を私たち自身も楽しみにしています。

きっと私たちは「物語をつづきつづける」。いつか未来も、今この時も。

その「今も将来もありたい姿」こそが私たちの等身大の姿です。

だから今はここまで。未来

Beは、いつかVisionに

小さな希望もあります。

いつかこの経験は、誰かの物語の手助けになるのではないか。

最近、農業仲間が初めての商品づくりに四苦八苦しています。
私たちは、自分たちの経験からアドバイスになりそうなことを伝えたり、ちょっとお手伝いをしたりして、それを楽しみ、彼らの成長や努力を見て嬉しい気持ちになったりします。

「社会貢献」という言葉は少し遠いけれど、「誰かのため」という言葉に置き換えると、自分ごととして感じられる気がします。今は身の回りの人のためですが、それが広がっていくと、農家さんだったり、地域だったり、日本だったり、世界だったりと。
「社会」に置き換えても違和感の無い範囲になっていくのかもしれません。

誰かの「物語をつづきつづける」手助けの可能性

それが具体的に見えた時、私たちのBeはVisionになるのかもしれません。

余談になりますが、講演の中でこんな言葉もありました。
「ビジョンを展開することで、ユニークなビジネスモデルが生まれる」

私たちのBeも展開していくと、誰かの「物語をつづきつづける」手助けという形で、なにか新しい事業に発展するのかもしれません。そんな楽しそうな未来も朧げに見えてきました。

私たちは「物語をつづきつづける」


継承すること。
一一さんの鬱金を栽培しつづける。
守りつづけると言うこともできるでしょうか。

商品開発は刺激的で、私たちにとって楽しい取り組みです。
変わりつづけたり、試しつづけたり。

この先も。
考えつづけ、挑戦しつづけ、楽しみつづけていく。

ここから、一つ一つの物語を残しつづけていこうと思います。

きっと私たちは、物語の作り手で、物語の語り部でもありたいのでしょう。

(2021.10.06/文章:斉藤翔)




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