「仕事ができる」の正体は何か?
「仕事ができる」というあいまいさ
みなさんの職場には、「仕事ができる人」はいるでしょうか?
おそらく1人か2人くらいはいるかなと思います。
(いないよ、と思ったそこのあなた、職場で一番仕事ができるのかも)
では、その人のどのような部分を見て、「仕事ができる」と感じたでしょうか?きっといろんな要素がありますよね。
・営業職などで、”高い売上をあげている”
・企画職などで、企画やプロジェクトの”推進力がある”
・仕事をこなす”スピードが早い”
・資料作成などの仕事が丁寧で”品質が高い”
・周りの人との”コミュニケーションが上手”
・・・
おそらく複数の要素を兼ね備えていることが多いと思いますし、業務や業界によっても、その基準はまちまちでしょう。
とはいえ、なんとなく「あいつは仕事ができる」「シゴデキだ」と表現され、曖昧な、ふわっとした概念である気がします。
もし「仕事ができる」と褒められた人は、具体的にどこを喜べばいいのでしょうか?
「仕事ができる」の正体がわからないのに、仕事ができるようになるのでしょうか?
「仕事ができる」の正体
常に周りから「仕事ができる人」と認識されている方を想像すると、「コミュニケーション力がこれまで以上にあがっているよね」とは思われても、これ以上に「仕事ができる」と思われることはあまりなさそうです。なぜならすでにそう思われているから。
すでに仕事ができる人は、”○○のスキルがさらにあがった”とか、”●●もできるようになった”とか、各項目で100点を目指す過程の評価を細かく受けることになります。
普段、お寿司を食べておいしいから、”お寿司とはおいしいものだ”とわかっています。仮に高級なお寿司を食べたとしても、お寿司そのもの全般が”もっとおいしいものだ!”とはならず、たまたま今回食べた高級な、個別性のあるお寿司に対して、「今まで食べたものよりおいしい」と感じるはずです。
つまり「仕事ができる」とは、まだどの程度の能力があるか未知数である状態から、評価がつけられた際のカテゴリ分け、ということになります。
それもそのはず、そもそも、できる/できないの二者択一です。
思い返してみると、「あの人は仕事ができる、あの人はできない」という会話はしたとしても、「あの人の仕事は普通」という話はしません。
では、「仕事ができる」の正体は何なのでしょうか?
「仕事ができる」はたった1つの〇〇でできている
それは、「期待値を超えること」です。
ここでいう”期待値”に、スピード・質・コミュニケーションスキル・推進力…など複数の要素が盛り込まれています。
ヒトは普段、あらゆることを想定しながら生きています。
あなたが誰かに仕事を頼むとします。「この仕事を○月○日までに進めておいて」と頼むとき、仕事の量が多そうなら遠い日付を、簡単そうなら今日の日付を伝えるかもしれません。
仕事の量と、それにかかる時間をなんとなく見積もって、現実的な日付を伝えているはずです。
そして、ヒトが感動する/がっかりする、といったの感情の揺れ動きは、この想定と現実のギャップで生まれます。
あなたが最近嬉しかったことはなんでしょうか?
宝くじを買うときに、100万円絶対に当たるとわかって買うのは楽しくないでしょう。(もちろんお金がもらえる嬉しさはありますが)
当たるかわからない、むしろほとんど当たらないからこそ、当たったときに嬉しい。「当たらないだろう」という想定と、「当たった」という現実とのギャップが、お金ではなく当選した!という喜びを生み出します。
日々何かのサービスを受けているときも、「お店の外見はきれいそうなのに中が汚れていて残念」とか、「口コミの評価は普通そうだったけど、実際行ったらとてもよかった」とか、こういった想定と現実のギャップを感じているはずです。
これは仕事も同じです。極端な話、仕事量が多いから1週間後を締切にしてお願いしたのに、10分後に回答が返ってきたら、全員が「仕事が早い」と思うはずです。
つまり、期待値をコントロールして、それを上回る成果を各要素でだせれば、あなたはおのずと「仕事ができる人」になります。
(期待値はどうコントロールするのか?はおいおい書き残したいと思います。)
まとめ
・「仕事ができる」はさまざまな要素で構成されている
スピード、品質の高さ、コミュニケーション力などのソフトスキルなど
・「仕事ができる」とは、実力や能力が未知数な状態から
評価がつけられた際の二者択一でのカテゴリ分け
・ヒトは普段、あらゆることを想定して生きている
想定と現実のギャップで、ヒトの感情は動く
・「仕事ができる」の正体は「期待値を超える」こと
以上、本日はここまで!
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