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創造社会×サステナブルシティ 試論①

2023年3月4日(土)に「サステナブルシティ・サミット3~サステナブルシティに向かう創造社会へ」を開催する。このイベントはオープニング、クロージングと合わせて4つのテーマでセッションを行うのだけど、実行委員会形式で色々な人に協力してもらっていて、みなでブレストして出た話に大いに多いに頼りつつも、まずは個人的にとりまとめてみたので、メモしておこうと思った次第。

創造社会

「創造社会」とは「一人ひとりが本来もっている創造性を十全に発揮する社会」ということになるそうな。例えば、リチャード・フロリダなどは「創造都市」として、クリエイティブクラスを集めることで都市間競争に勝つ…などと言っているのだが、創造社会は「一人ひとりが…」なので社会全体が創造に価値観をおく社会という違いがある。

これは、高度成長期に代表されるような「消費社会」(ものをいっぱいもつことが価値)、インターネット時代に代表される「情報社会」(情報にたくさんつながっていることが価値)に継ぐ社会価値として提唱されているのだが、詳しくは「創造社会論・井庭崇」などで検索してほしい(『ジェネレーター』という書籍もよいです)。
さらに言うならば、「創造社会」は一種の「見立て」で、これは、「こんな社会になるんじゃないかな」と「こんな社会になるとよいな」の中間的なスタンスとも感じる。だが、情報社会も実際にはある種の「ムーブメント」として動いてきたし、サステナビリティもそうであろう。

これは、高度成長期に代表されるような「消費社会」(ものをいっぱいもつことが価値)、インターネット時代に代表される「情報社会」(情報にたくさんつながっていることが価値)に継ぐ社会価値として提唱されているのだが、詳しくは「創造社会論・井庭崇」などで検索してほしい(『ジェネレーター』という書籍もよいです)。
さらに言うならば、「創造社会」は一種の「見立て」で、これは、「こんな社会になるんじゃないかな」と「こんな社会になるとよいな」の中間的なスタンスとも言える。だが、情報社会も実際にはある種の「ムーブメント」として動いてきたし、サステナビリティもそうであろう。

創造社会×サステナブルシティ

で、なんで「サステナブルシティ・サミット3」で「創造社会」をテーマに取り上げたのかというと、前回の「サミット2」のエンディングからの流れで。

サミット2では主に働き方のディスカッションが(偶然にも)同時多発的に表れて、「起業的サステナブルまちづくり」というスタンスや、「暮らし方と働き方が融合していくサステナブルな社会」といった社会像が浮かんできたのだが、それは「創造社会」とすごく親しいのではないかという議論が浮かび上がった(浮かび上げてもらった)。

なので、今回のサミット3では、「創造社会」というキーワードからサステナブルシティの可能性を探ってみようというアプローチを試してみる。

「個人の創造性が価値として重視されサステナブルな都市と融合していく…」という漠然とした都市像はあるのだが、それを具体化しようという趣旨だ。

試論として考えてみたこと

実行委員会で「創造社会×サステナブルシティ」に関わるセッションをブレストしてきた中で、こんな意見が出てきた。実は、こんな場が本番に負けず劣らず刺激的だったりする。

  • 創造社会とサステナブルシティの関係(社会価値と都市の特性)を意識することが必要

  • 創造的な働き方の世界では、暗黙知と共有地の行き来を重視する(ナレッジマネジメント、SECIモデル)

  • 創造性と言った時に、個人的な創造性(ex.働き方)もあるし、社会的な創造性(ex.地域の文化)もありそう。

そんなディスカッションを思い出しながら、「創造社会×サステナブルシティ」として考えてみたのが以下のような図。

①そもそも「人間の活動」はどんな要素で決まっていくのだろうか?

  • 個人/社会の行動規範で分けられそう

  • 形式知/暗黙知といった知の形式でも分けられそう

  • これらを便宜上、「経験」「知識」「文化」「文明」と名付けてみよう

  • 人間の活動がプラネタリーバウンダリーの中で行われないとサステナブルではない

②その時に「創造」はどう位置づけられるのか

  • 経験、知識、文化、文明それぞれだと居着いてしまう(個々の天才的発明はあるとしても)

  • サステナビリティを意識すると、単に各々の活動が巨大化すればよい訳ではない

  • それらの間を「行き来」する行為が「創造」的な活動なのではないか?

  • 「共創」(個人⇒社会)は最近やたらと言われているけど、「独創」(社会→個人)も重要

  • なお、ナレッジ・マネジメントのSECIモデルは「働き方」をテーマとしているので、個人間の作用や個人から社会に向けた作用は定義されているのだが、社会⇔社会の作用は定義されていない。そこが都市を考える時の独自性かもしれない。

③今回サミットの各セッションはどんな位置づけになるのか?

  • 「見える化」:個人の暗黙知(経験)を個人の形式知(知識)にする創造的活動(必ずしも個人には限らないかも)

  • 「都市活動」:個人の暗黙知(経験)を社会の暗黙知(文化)にする創造的活動(これはまちづくりの王道、経験の共有)

  • 「地方創生」:社会の暗黙知(文化)を社会の形式知(文明)にする創造的活動(地域に眠っている資源を認識して活かすといったイメージ)

  • 「公民連携」:社会の形式知(文明)を個人の形式知(知識)にする創造的活動(公民連携自体は何にでもつくのだが、ここではリスキリングや人材流動をイメージしたセッションなので)


これは、あくまで仮説、今回のサミットを終えて再度考える必要がある。「リフレーミング」も創造社会では大事なキーワードらしいので…

なお、このモデルは「概念的過ぎる」「小難しい」という批判もだいぶくらっているので…orz…サミット当日は使われない予定(笑)

(おまけ)

あと、モデル化すればするほど、そこからこぼれ落ちてしまうものも確かにあって、例えば、人はどんな時に創造的な活動をする「心理」になるのかとか…(あるよね?「ハイ」になっている状態とか、締切に追われて火事場の馬鹿力とか)。自分で消化しきれないキーワードをベチャッと貼り付けておく也。



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