030_20230615_亜人
基本情報
桜井画門(さくらいがもん)先生執筆の、成年アクションマンガ
講談社「good!アフタヌーン」で2012年7月6日:(23号)から、2021年2月5日(3月号)まで連載
隔月から月間に
全86話、全17巻で完結済み
「おいおいどうしたどうした?」と思うほどの、怒涛のメディア展開
2015年に劇場三部作としてアニメ化、2016年にかけて3部上映
2016年にはテレビアニメが分割2クールで全26話放送
2017年には実写映画が公開
大まかな紹介
「亜人」と呼ばれるその生物は「死なない」。
高校生・永井圭はある日、交通事故で死ぬが、その直後に生き返った。
それは、彼が亜人であり、人間ではないことを意味する。
をとりまく環境は一変した。
彼は人間たちから逃げ惑うことになる。
友人のカイは、怯える圭を助けるために駆けつけ、ふたりで人里を離れて山の中に逃げ込んだ。
そんな彼に人間と敵対する亜人たちが接触してきた。
――彼は何と戦い、誰と生きればいいんだろう?
導入
全身包帯だらけ、頭に002って書いた男が、手術室みたいな防音室みたいなとこで、窓によって外か人に観られならフーフー言ってる
別の男が「人類の進歩のため」つって頭を拳銃で撃ち抜く…トコから始まる
場面は変わって、単語帳を開いて勉強してる高校生くらいの少年が皮肉言われてる
永井君は、夏休みまで勉強付とはお医者様死亡はたいへんだねぇと
場面変わってコンビニ前、髪を金髪?に染めた不良っぽい風貌の生徒「カイ」に手を降られる
「知り合い?」と問われ、主人公永井は「まさか、変な人だね?」と応える
「変な人…あれ亜人だったりして?」
場面は変わって教室、先生が「今日は亜人について話そう」と
知ってることは?と問われて、生徒は「不死身、絶対にしなないということです」と
亜人は17年前のアメリカで発見され、米軍が拿捕した、人類にとっての最大級の発見になった
ことが重大すぎて隠蔽出来ず、パニックになった
世界出46体、日本で2体確認されている
「死ななければわからない」から、発見が難しいし、この中にもいるかもな、と
主人公の永井君が「亜人って人間じゃないんですか?」と質問すると
先生は「は?当たり前だろ?」と返す
永井くんの回想
妹と死んだ犬を埋めている
妹「不良品だと死んじゃうの?」「そんなことないよ」と
そこで思う「なんで死ぬんだろう。別に死ななくても…」と
その時後ろに、陽炎のような幽霊のようなものの気配を感じる
「別に…死…」と自分の言葉をトレースするようにカタコト
と言う回想をしてると、トラックにはねられる
で生き返る
「いやちがうって、おれは 人間だって!」
走って山に逃げ込む
山の中で一人焦る
「捕まったらどうしよう」「死ぬまで研究される」
電話で思いついたのは「ケイ」と呼ばれる少年
「今どこにいる?」と問われて、答えられない永井
「俺は大丈夫だ」と
応える永井に、ケイは「すぐ行く」と
おまわりさんに発見されるも、ケイが駆けつけ後ろから飛び蹴り
「走るぞ」とケイ
「追いつかれてたまるか」と走って逃げる
後にケイのバイクで逃げる
永井「やっぱ俺って人間じゃないのかな?」
ケイ「そのへんは、興味ねーわ」
感想
臨場感が凄い
アクションの絵がいかついのと「今ライブでやってます!」みたいなカメラワークっていうか、そういうのを感じる
あと「どこに転ぶんやろ」って思う嫁なさというか、アドリブ感というか…
自分はわりと「フォーマットが決まるマンガ」に安心を感じて読むタイプなのだが
例えば「DBで天下一武道会が始まった時」とか「ああ、修行とトーナメント大会でループしていくんか」みたいな
例えばサザエさんで「ああ、一話完結で時空は一年ループで進まないんか」みたいな
人とは逆かもしれんけど
でもこの作品は「フォーマットがグリングリン変わる」
次の回には修行編になってたり、過去編になってたり
そういう意味で自分の好みでないのにワクワクした
なんか不思議な「怒涛のメディア展開」
2017までに「怒涛の爆発」をしている
2015年あたりにスポンサーとかが「我も我も」とお金でも出したのかな?
その割には2017年でパッタリメディア化どころか話題すら聞かないな
原作サイトが消えてるんですよね…
じゃあその「クールダウンした盛り上がり」にもっかい火が入るのを期待したい
設定・展開・風呂敷のたたみ方、ともに、「よーく出来てる」のに「合理的な理由」が見当たらないところが「違和感」として浮かび上がってくる
なぜ、人類は「亜人」を「非人道的な虐待・人体実験」をしたのか
合理的な理由が思いつかない
「未知なるものはおそろしい」という「魔女狩り的発想」ならわからいでもない
「研究する必要性」は感じても「非人道的に虐待する必要性」は感じない
寧ろ「ヘイト」を買って「徒党を組まれたら太刀打ちできない」になるリスクを背負ったろう
それを「人類は読めなかったのだ愚かにも」ってのなら、合理性が出て本編につながるから解る
その要素は、作劇の遺恨と「そういうことがあった」という舞台装置としては優秀なんだけど
「え、なんで?」がそこら変を気にしてしまう
とか思ってると、同じことを岡田敏夫さんが言うててくやしかった
全然前にそう思いついてた人が要るんだなと
というわけで、意見をパクったわけではなかったのですが、やっぱり多くの人が思ったんだなぁと
でも、それにも理由があって、自分が一番この作品で「興味を持った」ところは、その「作品の製作経緯」です
最終巻の「後書(ごき?)」というのにこのような記載が在ります
実際の記述の抜粋
「逃走劇で始まり、だんだn戦い担っていく感じ、先先を熟慮せず、そのばその場でアクティブに展開を考えるタイプのマンガに成ると思います」
2011年前半あたり、亜人の作画担当に選ばれたわたしが、編集者さんからそう伝えられたのを覚えています
0〜5話まではわたしではなく、別の方が お話を作ってたんですね
(中略)
さて、ここからは謝罪です
後付で考えていくことになります
そうすると、どうなるか
当初とは違うテイストのマンガになっていってしまうわけです
これを観て、自分は「この作品のリスペクト」がガン上がりしました
たしかに、1巻読み返すと、絵が違う上、みるみる変わってくんすよね
仕事でも趣味でも「他者が作った”意図ある作品”を引き継いで作る」って、めちゃくちゃしんどいんですよ
「他人が当初考えてたこと」なんて知るかえ、ですし
少なくとも「5話までに出てきた何かの伏線回収」は絶望的ですし
それに対して「延長線上でやってくれ」って言われても「じゃあ自分の作家性は?」ってなりますし
「他人が夢見てたもの」への責任なんて取れないですし
ましてや、先ほどの「亜人を虐待してた理由」とか、一話で「もうやっちゃってる」非合理性に「後で他人のケツふいて理由を考えなければならない」し
そういう意味で、この作品が大好きになりました
作家的には、要らぬ「苦労」と「葛藤」を背負ってると思う
んで、なにより「話がおもろい」「名作」に仕上げた
ハンデを背負ってたのに、そういう努力を持って、完結させたんだなぁという苦労に感服です
総評
先が読めない、上質のヴァイオレンスをよみたいならおすすめ
作者の都合を知った上で読むと、なお楽しめる作品
その作品自体「面白い」のに「背景を知ればだらに楽しめる」二度おいしい
最後までお読みくださり、ありがとうございます!
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