「100日(後に死ぬ/間生きた)ワニ」怪文書ー「100日間生きた」からこそこの「これから」は示されるー

はじめに


はじめに


今回の怪文書はいまいちまとまりよくできず,トピックの塊の羅列のような仕上がりで完成となってしまいそうだ.前回以上の駄長文失礼.いずれ清書するかも,その際はツイッターでお知らせいたします.とりあえず記憶がアツアツのうちに書き下ろした.


ご挨拶


読者諸氏は「100ワニ」と聞いて,何を思い浮かべるだろうか.「行きますか」の一声でラーメン屋に連れ立つワニやネズミ,モグラたちの背中であろうか.100日目の締めとして命を失ったワニとは対照的に,今が命の見せ場であるといわんばかりに咲き誇る桜の木々であろうか.年上の女ワニと些細なことですれ違い,徒労にも等しい回り道を何日にもわたって繰り広げる情けないワニの姿だろうか.それとも「電通」の簡素かつ不愉快極まりない二文字であろうか.
お察しの通り,今回はきくちゆうき氏著作「100日後に死ぬワニ」を中心に繰り広げられた「100ワニ」関連創作物についての怪文書を書き連ねていこうかと考えている.この怪文書は少しばかり長くなる予感がする.それには以下のような個人的な理由がある.


「100ワニ」以前のきくちゆうき氏を知っていた


2018年3月からツイッターの劣悪たる環境にさらされてきた筆者であったが,実は「100ワニ」よりも早くきくち氏の創作に触れていたのであった.ゾウ,ウサギ,ネズミの三人組によるコメディ漫画,そう,「SUPERどうぶつーズ」だったか.特徴的な絵柄と筋書きの帯びる独特な雰囲気が筆者の興味を引き,思わずフォローボタンに手を伸ばさせたものだ.「100ワニ」でレビューを圧倒的に伸ばしていった際にはその手腕の素晴らしさに驚き,思わず応援してしまったものであった.
...それゆえに,100日たった後の手際の悪さも,それによる不特定多数からの散々な叩かれようも,より深く印象に残っている.言いたいことも多くあるが,それに関しては後程.


原作の振り返り


この記事を書く際,ツイッターに掲載された「100日後に死ぬワニ」の漫画をひととおり読み直していった.その際思い浮かんだ感想,意見については以下の通り,読者諸氏も実際に読みながら,自分なりの感想を持ちながら読んでいただきたい,というのは筆者のわがままである.(参照元
・きくちゆうき作品特有の,いつも連れだって仲良くしている男友達同士が他愛ない冗談でつつきあっている,日常の程よく心地良い空気感
・「100日後に死ぬと確定した」状況ゆえに,時に重く感じるブラックジョークとして我々の前に立ち現れる,日頃の会話の「気を付けないと死んじゃう」「人は簡単に死なねー」といった表現,遠い未来に予定を立てるといった行為(回収されると分かりきっているからこそ,日々の僅かなフラグとして一連の漫画のスパイスとなっている)
・これらの組み合わせによる「特別な流れで大団円としての死を迎えるわけではなく,何気ない日常の中で突然,ビデオテープが何の脈絡もなくぷつりと途切れるように死ぬのではないか」という一抹の不安
・これらを100日間少しずつ大勢で味わっていく,その時公開された以上のことは作者以外誰も知らず,読者同士で色々考えを巡らせてみるほかない
・さらに言ってしまうと,日がたつにつれて特定の人間関係をきっかけとして,ゆっくりといい方向に進んでいってるのがさらに不穏さを煽る.
毎日連載というライブ感ばかり取り沙汰され,そこのみオマージュしたお粗末な二次創作や今一つ物足りない批評が出回りがちなこの作品であったが,こういった要素が絡まってこその「100ワニ」であり,だからこそ,この作品に対して「利権臭」をぶちまけて即座にグッズ展開,映像化決定する制作側には不信感が募るばかりであったし,作品の魅力を毀損する事態につながるのではないかと危惧したし,何よりそれを了承したきくち氏の意図が掴みづらかった.
大々的に売り出すのは「100ワニ」じゃなければいけなかったのか.
「あのきくちゆうきが描いた!」とかなんとか言って別作品を売り出せばいいのではないか.
薄汚い話をすれば,そうした方が作家自体にブランドが,箔がついて長期的な儲けにつながるのではないか.
書籍版についてだが,何故一枚絵だけのページを「漫画描きおろし」のページとしてカウントしたのか.ちゃんとアフターストーリーとして「その後」の寂しさ,ひよこの救われた生について描かれた漫画を追加しているんだから,その分だけカウントしていればあのようにやり玉にあげられることはなかったのではないか.
あのような世論の中でそういう杜撰なやり方をしてどのような目に合うのか,なんとなくほどの予測くらいはついたんではないのか.
いろいろと疑問だった.原作の話はここまで.


映画の第一印象


監督の名前を見た時.「タイミング悪く人気になってしまったものだから,ネームバリューだけで焦げ臭い仕事を押し付けられてキツそう」と思ってしまったし,あれを映画にするのは違う,難しいのでは,と一般人同様そう思った.声優の名前も最近よく聞く売れっ子芸能人ばかりだし,そういったところが余計に悪印象だった.当初はみる気は一切なかった.


ひきつけるレビューは「絶賛」ではなかった


公開前からきな臭い挙動があちこちで見られるこの映画であり,レビューはステマまがいの大絶賛か,ボロクソにこき下ろすために映画を見に行ったような連中のそれであふれかえるんでないかとの予測に反して,意外にも冷静な判断のもと書かれたものが多かった.「100ワニの映像化としては満点以上であるが,劇場に駆け付けるほどのものではない」というニュートラルな評価は,逆張りクソガキを劇場に駆り立てるには充分であった.


映画の感想(箇条書き)


・カエルのキャラデザ,なんか浮いてね?見ているうちに気にならなくなったということが,脚本のすごさを図らずも示す結果となってはいるが,やっぱり気になる.きくち氏本人ならもっと淡白に描きそうなものだ.「外部からきて浮いている存在」としてのメタファーなのだろうか.
・他の評論でも言われているように,無駄に解像度が高い/低い箇所があり,揚げ足取りたちのネタになりかねないという印象があった.はだしと靴での歩行音に差をつける必要はあったのか.花に物語上での大きな意味があるのは把握済みだが,もっとそれ以外の作画となじませられないか.格闘ゲームはもっと研究してもよかったのではないか.ゲームのタイトル画面があまりにもお粗末すぎて,そこに関しては正直草を生やす他無かった.
・「紙芝居」「セリフが遅い」といった言葉についてはそもそも,あの間や,普通の人々の日常の雰囲気の良さが理解できない人が「100ワニ」の顧客層に入るとは考えづらく,言い換えると「100ワニ」の映像表現として最良だと個人的に思った.前半のテンポの悪さを指摘する評論もあるが,あれがなければ「100ワニ」を理解できるはずもないし,個人的には作品の雰囲気をしっかりと表現しているように感じた.
・「カエルがうざい」といった意見について,その挙動に理由が,裏があるよう個人的には感じた.「糞ウゼェな」と突き放すより,「ずいぶん楽しそうだけど,なんかいいことでもあったんか?」と,クッソ遠回りに探りを入れたくなるような…というか.そして,多くの好意的な意見と同様,この筋書きの核心となると考えた.「人」という漢字は人と人が寄り添ってなんとかかんとか...的な,そういうエンドにするためには必要な追加キャラだ.このオチを「100ワニ」につけるべく,追加でのキャラを考え,その「寂しさ」を克明に描き上げて見せた脚本家の腕には感服するばかりである.
・100日目のシーンを二回もほぼほぼ同じ状態で流す必要はあったのか.片方省略してもよかったように感じるが.
・エンディングがいきものがかりなのは「やっぱりな」と思うと同時に「他におらんかったんか」と思った.仲間を失った衝撃からようやく立ち直った動物たちの群れの背景に,死肉を咥えたハゲタカの飛び立つ姿を映すようでグロい.


統括


声優がどーのこーのとかいう,ステマとして引き受けた三流文筆家が言いよどんだ挙句に放ったようなわけのわからないネタはともかくとして,この映画を絶賛する者の発する評価として「間の使い方がうまい」というものがあるが,アニメとしては珍しいくらいのもので,邦画で有名になった上田監督にとっては使って当然くらいの感覚ではなかったのだろうか.確かにうまいのはそれはそう.
絵柄だって原作をなぞり,その先を描くうえでは最も自然なものだったし,「100日間共に生きた」ことこそが登場人物たちの心に「再生」をもたらしたのだ.確かに聞いた当初はコンプラ関係の苦し紛れにも見えたが,ここに意味があるように感じられる展開は意外であり,とても良かった.わめきたててシバキ回すほどの駄作では決してないように思えた.ただ原作での一連の流れで,評価を下げないための立ち回り(いわば防御策)が致命的に下手だったがゆえに,その延長上としてサンドバッグとなってしまっている,といったところだろうか.
どうせ殴るならせめて見てからにすべきではないか.電通が糞なのと,この作品のために多くの人が汗水たらして働いたのは全く別の話と思うんだが.とごく当たり前のことを言って,この怪文書の幕引きとさせていただく.

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読むうえの
乞食でいうところの空き缶故,裕福な酔狂向け