往復書簡: そこにエゾマツの群生するところ #5 かず→みーさん
どこか涼しいところにいる みーさんへ
ワルシャワからの素敵な書簡を頂き、ありがとうございます。またミュシャの版画の写真も愛らしいです。この芸術家の作品には明るくないのですが、独特の立体感は幾重にも刷られた版画が理由なのですね。
「君の名は。」の話も好きです。紐を人の人生に見立てて、その絡み合いを組紐に例えているわけですが、どうしてもこの話は僕に数学や物理のイメージを与えます。なので、今日は思いのまま数理的な話を書こうと思います。
■紐と定理
昔から数学が3度の飯より好きでした。30歳を過ぎた今でも数学の勉強をしていますので、恐らく受験勉強的な意味合いというよりは、学問として数学に惹かれているのでしょう。マンガ好きのために「月刊少年ジャンプ」があるように、数学好きのためにも「数学セミナー」という雑誌があります。
たぶん、多くの人は興味を持つ内容ではないと思いますが、毎月最近の数学のホットトピックや大事なテーマに関する解説が書かれています。そして、何より楽しいのがアマチュア数学者のための「エレガントな解答をもとむ」という投稿型の難問が2問出題されることです。結構難しいです・・・
数学を勉強していると定理というものが出てきますが、小学生のころからこれはいったい何のことだろうと思っていました。ざっくりというと、定理とは数学的な前提(定義・公理)から導かれる重要な法則のことのようです。
そのうえで、さらによくわからないと思っていることがあります。それは、とても一様かつ標準的に定められた定義や公理の上に、特別な構造である定理ができあがるということです。より具体的な話として、とても有名な「ピタゴラスの定理」の話をあげます。
①はとても一般的なことが書かれています。他方、②はそれを前提としながらも、とても限定的/特殊な条件を言っています。つまり、遍くすべての直角三角形は、ピタゴラスの定理を満たす。すごく緩い条件から厳しい条件が導かれることが不思議で仕方なかったのです。
そして、これは無数に存在する三角形を点と見立てたとき、そこから延びる素麺のような線が、揖保乃糸の束のように結束されているイメージを僕に与えてくれます。想像上のイメージは下の通り。
■気づき
この文章を書いていて、数学について思い当たることが2つありました。
■振り返ると
前回の復路にて引用頂いていた「君の名は。」のおばばの言葉。
この文章を見た時に、爽やかな哀愁を感じました。「人生は結局○○!!」のように強い言い切りではなく、「そうは言っても人生はこんなもんかもしれへんな」と言った味わいがあります。
ひとつ前の往路の所感でも「卓越した全体」の話を書きましたが、これも同じなのだろうと思います。引きで見た時に見えてくるもの(≒構造)があると言いたかったのだと思います。
■結び
質問です、見えないものが見えるようになるとはどういう意味でしょうか。そして、それができるようになるためにはどうすれば良いでしょうか。
みーさんの旅が、何かしらの全体を持っていますように。
京都は遅れて来た秋、
浴衣も川床も、オオサンショウウオも店じまい。
P.S.
元々、オオサンショウウオについて文章を書こうと思っておりました。
ご興味があれば。
産卵期は、8月下旬~9月。水温が20度以下になる9月上旬が最も多い。標高が高く、水温が8月でも20度以上にならないような河川では、8月中旬に産卵している場合があるとされている。 産卵場所は、岸辺に掘られた深い横穴など奥から伏流水が出るようなところが好適である。毎年、同じ穴で産卵することが多い。
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