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Skoop On Somebody

ベトナムのホーチミンシティの朝は早い。朝5時ジャスト。辺りは暗く、サングラスをかけると視界は悪い。漕ぎはじめのビンディングシューズがぎゅっと音を立てて、ゆったりとしたスピードでGIANTの自転車を前に進めた。

骨伝導イヤホンからは、この20年間ずっと聞いている音楽が流れている。

東南アジアの朝が、あらゆるすべての時間より好きだ。昨晩の熱を少しだけ残しつつも、湿気を含んだ冷たい空気が草の青いにおいと一緒に鼻に流れ込む。なぜか、芝生とそこに水をまくスプリンクラーのことが思い出される。ゴルフ場だ。そして、リプトン。英検。タイのセラドン焼きの小さな青いコップ。彼は眠そうに目をこすっている。僕は家の窓から少し離れたゴルフ場を見つめる。右斜めに偏屈した筆圧の強い、どこか魔術的なものを思わせる汚い字をA3サイズのホワイドボードに書きながら、彼は現在完了形について僕に説明をした。説明が分かりにくかったことだけを覚えている。

僕の父親は特殊金属の専門商社で働いていた(らしい)。彼がどんな人なのかを実は我々の家族はよく知らない。信じられないかもしれないが、僕が彼のプライベートについて知っていることは、漫画:北斗の拳とザ・シェフが好きで、Skoop On Somebodyというバンドが好きだということだけだった。

僕が10歳のクリスマスのとき、サンタクロースに扮した彼は僕と年子の弟にSONYのWALKMANのCDプレーヤーをくれた。信じられるだろうか、あれから20年も経っているのに、そのCDプレーヤーで僕はSkoop On Sombodyの曲を今この瞬間聴いている!!!!!七色に光るWALKMANの楕円のデザインが結構気に入っている。

SONYのCDプレーヤー

もし、この文章を読んでいる人の中でSONYのWALKMANの関係者様がいらっしゃったら、連絡してほしい。あと、Skoop On Somebodyのファンの方も、大歓迎。

そして先日Skoop On Somebodyの「Singles 10 years Complete Box」なるものを手に入れた。このCD BOXには、1997年~2006年までのシングルの楽曲が納まっている。このバンドはボーカルのTAKEさん、ピアノのKO-ICHIROさん、ドラムのKO-HEYさんで構成されている。あまりアーティストや音楽にのめり込む方ではないのだが、Skoop On Somebodyだけは、もう本当にずっと好き。

Skoop On Somebody Singles 10 years Complete Box

僕の父親は音痴だった。そしてその長男たる僕は、もっと音痴だった。きっと僕の前世の人は、「こんなところに音階が落ちてるで」って言ってげらげら笑っているに違いない。そう、それ僕の音階です。現世でも文字通り何度も探し回ったけど見つけることができなかった。カラオケボックスのテーブルの下にも、京都一乗寺のコンビニの前にも、どこにも見つけることができなかった。彼は僕らを乗せた大型のバン(僕らは7人家族だった)を運転しながら、Skoop On Somebodyをいつも流していた。

コトバでは強がっている僕は
白い嘘をついては胸を痛めてばかり
「憧れたヒーローのようにはもう生きてはいけないよ」と
誰かに聞いたけれど

Skoop On Somebody 僕が地球を救う

この曲名が「僕が地球を救う」だと知ったのはずっとあとのことで、というのもCDを流すとき曲名などあまり気にしないからだ。今はSpotifyやYoutubeで音楽を聴くと楽曲名がわかりますよね。僕は運転する父親に白い嘘ってどういう意味だろうと尋ねた。それと同時に自分の解釈についても説明した。確か白はきれいだから、きれいな嘘のことだと言ったと思う。彼は白い嘘っていうのは、わかりやすい嘘のことだよと言った。でもね、解釈って色々あるから、だから僕は国語が嫌いと言っていた。改めて白い嘘の意味を調べてみたところ英語の「White Lie」のことで「相手を気づけない小さな嘘」のことを意味しているらしい。なんか、ホワイトライって安くておいしいウイスキーみたいな名前ですね。僕も国語があまり好きではなかった。なぜなら、国語という科目は独自の解釈を問題にする教科ではないからだ。つまり、論理的に妥当と言える考え方を選択あるいは記述することを求めるということだ。これを初めに教えて欲しかった、試験問題の但し書にそう書いて欲しかった。国語の先生、生徒にそう教えてあげてください。でも僕は彼の解釈が好きだった。

Sha la laという曲がある。これが一番好き、多分これからもずっと一番好き。自分が死んだときはこの曲をお葬式で流してほしい。僕にとってこれは天国の歌。少し元気がなくなったとき、これから何か大切なことが起きそうな朝、もくもくの雲が何か動物のような形を成しているとき、鴨川を走る早朝、この曲のことを思い出す。はじめこの文章を書き始めたとき、そのタイトルは「得意なこと、センスのあること、好きなこと」だった。というのもトライアスロンの練習しているとき、スイム・バイク・ランそれぞれ自分にとって位置づけが違うなと思い、それについて文章を書こうと思ったから。でも気が付いたら、まったく違う内容になっていました。でもちょっとつながっている。

2024年2月の中旬。僕は自分が生まれた国であるタイでアイアンマンのレースに出た。アイアンマンはトライアスロンの長いバージョンです。最後のランが21kmで1周7kmのコースを3周しました。最後の1周のそれもゴール直前の最後のロングストレート。そこには地元の人々が歌い、踊り、舞い、この戦いを終えようとしている戦士を称えてくれる。Sha la laを頭の中でずっと聴いていた。海岸の方を見ると彼も沿道を走っていた。裸足で、顔は真っ黒に日焼けしていて、サラサラの髪を風に流しながら、楽しそうにこちらを見ている。僕と同じ年のタイ人にも見える。右手には缶ビールを持っている、きっとゴールした後一緒に飲みたいのだろう。今日は彼の誕生日。安物のプラスチックジョッキにでっかいカチ割氷とシンハビールを入れて、白い噓のことについて20年ぶりに話しましょう。Sha la la、久しぶり元気だった?

おわり

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