自分は為すべき事を為しているか? その問いに答えるために、起業を決めた。 父が第一線を退き、兄が会社を急成長させていく。さて、自分は何をしていたのだろう、これから何をしていくのだろう。自問自答の末にたどりついたのは、起業でした。妻と娘が二人いる自分にとって、無責任なチャレンジは出来ません。しかし私は幸運でした。妻が全力で背中を押してくれたのです。 ▼ 前回のnoteはこちら ▼ このままでいいのか、自分は止まっていないか ↑ 正和工業㈱の代表取締役社長 横田生樹(兄)
正和工業での16年間。 施工管理、積算業務、調達・購買など多様な業務で 自分を追い込み続けてきた。 今回はFIRSTを立ち上げるまで、正和工業での会社員時代の話です。 入社初年度は立ち上がったばかりの「リフォーム事業」の営業を担当しましたが、力不足で成績は低迷。すぐ現場へと配属替えになりました。その後は無休で自分を追い込んでいき、また現場からオフィスワークまであらゆる職域を体験したことで、建設業界の課題を自分の目で見極めることができました。結論から言えば、それが起業の最大の
FIRSTを立ち上げた私、豊田一晴(とよた かずは)はどんな人間か。 あらためて自己紹介をさせていただきます。 前回、前々回と、FIRST社が「何を目指し、どこへ向かうのか」につきまして、概要を述べさせていただきました。今回は、私のことをもう少し詳しくお伝えさせていただきます。「創業フェーズに合流するにしても、もう少し創業者について話を聞きたい」「私は人で判断するので、情報をもっと欲しい」・・・そんな方々の参考になれば幸いです。 ▼ 前回のnoteはこちら ▼ 詳細プロ
前回、FIRSTの主軸となるビジネスモデルについてご説明をいたしました。今回はその続き、将来展望を意識した事業の解説をさせていただきます。 ▼ 前回のnoteはこちら ▼ その建築現場で働いているのは、遙か遠方の人かもしれない 農作物では「地産地消」、つまりその土地で作られた作物を、その土地で消費する仕組みが奨励されています。新鮮な作物が食べられることはもとより、運送コストもかからないため価格はリーズナブル。作り手としてもお客様がすぐ近くにいるので、反応がすぐ分かる。おい
なぜ建設会社の役員の地位を捨て、 バーティカルSaaSでの起業を決断したのか。私、豊田一晴(とよたかずは)は、いま37歳。3年前までは父親が立ち上げた建設会社を兄と共に継ぎ、経営陣の一員として充実した日々を送っていました。 親の築いた資産の上で楽をしてはならない、兄弟でこの会社を何倍にも 大きくしてやる・・・そう決意して、現場を飛び回り続けました。 取得した資格も54にのぼり、自ら建設会社を作ることもできるほど、建設業界の事情には精通するようになりました。会社の売上もわずか