生きていた呂不韋、河川へと繋がる呂氏通商ルート②
シリーズ第3弾、前回の記事の続きです。今回は、呂不韋が蜀に行った背景について迫ってみたいと思います。いつものように、地理的考察と時系列的考察の、2つを見ていきます。
また、記事の最後に、参考文献の1つである故・中野謙二氏の著書について記載させて頂きます。
岷江の歴史
秦・昭王(昭襄王)の時代に、李冰(りひょう)なる政治家が秦にいました。まったくスポットライトを浴びることのない人物ですが、1つの偉業を成し遂げた人物です。
ちなみに昭王は、始皇帝・嬴政の曽祖父ということになっています。
まずは前回記事のおさらいで、岷江(びんこう)の位置を確認しましょう。分かりやすく赤い色をつけました。長江の源流です。
春秋時代は、この岷江が流れる四川盆地は「西蜀天漏」と呼ばれるほど大洪水に見舞われていました。作物も水害にやられてしまいますし、高台に住まざるを得ない地域だったわけです。それこそ物資の輸送にも適さない河川だったことでしょう。
しかし、この流れが文字通り変わります。
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