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キングダム第695話考察・箱
第695話は下記でお読み頂けます。
前回の考察はあえてお休みしました。まず、前々回の考察から引用します。
“ここで初めて、桓騎は「雷土が死んだ」という事実を知らされました。ただ、どういう最期だったのかは、まだ知りません。次回、扈輒が「雷土は絶対に口を割ることなく死を遂げて、それによって桓騎の謀略が見破られることなく成功した」ことを語るかもしれません。 その時桓騎は、趙軍の虐殺を決心すると予想します。桓騎の少し人間臭い一瞬が垣間見えるかもしれません。”
前々回の考察のポイントは2つ。
①雷土が趙軍による拷問でも口を割らなかった
②桓騎が趙軍虐殺を決断する
①については、少し予想が外れました。雷土の拷問死については、扈輒の口から詳細が語られたわけではなく、生き残った趙軍の拷問担当者から聞き出したようです。
摩論が平陽の戦いの本当の勝因を、桓騎軍の将に知らせます。
雷土は拷問によってバラバラに切断され、木の箱に納められた状態で発見されました。それを知った将たちも、絶句。
前々回の考察に記載した「桓騎の人間臭さ」とは、雷土に対する弔いです。今まで仲間意識などどうでも良いと思ってきた桓騎です。戦に勝てば仲間が死のうが、一切関係ない。その桓騎が、仲間であった雷土を弔うための趙兵虐殺を決断するのです。人間臭いじゃないですか。
桓騎を少しだけ、そして徐々に変えてきたものを考えていました。少しさかのぼりますが、函谷関の戦いにおける秦将・張唐の言葉だったのではないでしょうか。
張唐最期の言葉。冷酷な男の心に、弱くも確実に灯り続けた人間臭い想いは、張唐の熱きメッセージから生まれている気がするのです。
史実では、桓騎による趙兵虐殺の理由は分かりません。
この平陽の戦い(紀元前234年)から遡ることわずか26年前、秦の将軍・白起が趙兵を45万人殺した戦いがありました。
長平の戦い(紀元前260年)
死線を彷徨い生き延びた趙兵達をこのまま趙に帰せば、秦に恨みを抱いた彼等が将来の禍根となるのではないかと白起は恐れ、少年兵240名ほどを除いて趙兵を全て生き埋めにし処刑した。この戦いでの趙の戦死者・被処刑者は45万に上るという。
今回の平陽の戦いにおける桓騎の戦術が、馬陵の戦いにおける孫臏の戦術を取り入れているわけですが、まさか趙兵虐殺も白起を真似た…ということでは、短絡的過ぎます。
やはり、漫画キングダムにおける平陽の戦いでの趙兵虐殺理由は、「雷土という仲間の死に対する弔い」という意味付けなのでしょう。
そしてこの趙兵虐殺(史実では10万人とも言われる)が、桓騎は秦の六将の中でも「最も脅威である」と諸国に知らしめます。この桓騎を止めないと趙は滅ぶという亡国論が高まり、趙政権は正式に李牧の前線復帰を承認する流れになります。北方の国境警備を担当させられていた李牧が、いよいよ秦との最前線に戻されることになるのです。
桓騎は平陽の戦い後に武城を落とし、同じ年に肥下の戦い(紀元前233年)でその李牧と対決します。
楽しみですね。
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