巡行ルートで見えた嬴政のルーツ
本題に入る前に、下記の記事末尾にあります、始皇帝の巡行についてお読み頂けるとより分かりやすくなると思います。
記事に書いた通り、巡行先は甘粛省と山東省でした。
呂氏と嬴政の関係
今までの記事をお読み頂いた方はご存知の通り、今まで検証してきたことを大枠でまとめてみます。
①呂氏(始祖・呂尚)は古代イスラエル血脈である
②呂不韋は①の末裔でありユダヤ商人である
③嬴政の父親は呂不韋である
④漢以降、呂氏の痕跡を分からないようにした
(劉一族の正当性確保、呂氏に対する卑下)
一般的に、最も疑問に思われるのが③かと思います。ここで改めて、嬴政の重要な巡行先が甘粛省と山東省であることを再認識しておいてください。
呂氏となった姜姓呂氏(羌族)
これも以前書きましたが、呂氏の始祖である呂尚はその軍功が認められ、斉国を始祖となります。呂尚もともと姜姓だったので、姜斉とも言われます。異民族の血が流れていたので途中から呂氏を名乗り、中華に溶け込んだのです。
この姜姓の生態について、少しご紹介します。
先秦時期,姜姓活動的地區主要是甘肅和山東。
(秦以前の時代には、姜姓の活動の痕跡は主に甘粛と山東で見られました)
Source:https://kknews.cc/culture/l22g93e.html
姜族は、もともと西の甘粛省と東の山東省で勢力を拡大していた氏族なのです。山東省の姜族・姜子牙が、呂尚を名乗って呂氏が始まったのです。その呂氏の末裔が、呂不韋だということは間違いないでしょう。
始皇帝の巡行の意図
始皇帝の巡行先が、なぜ甘粛省と山東省なのか、さらに、始皇七刻石と呼ばれる権力誇示のための7つの顕彰碑のうち5つを、なぜ山東省に建てたのかを論理的に説明している人がいません。
答えは明確です。始皇帝は、自らの血族である呂氏=姜姓(羌族)のゆかりの地を見て回ったのです。
不死という「未来」を渇望した始皇帝が、ルーツという「過去」を旅することは不自然ではありません。歴史を知り、ルーツである羌族をより深く知ることを、血の故郷である甘粛省と山東省に求めたのです。
神話と呂氏の繋がり
日本にも神話があるように、中国にも神話があります。日本は万世一系を正当主張するツールとして神話が創作されたのと同様、中国でも恐らく中華を統べる正当性を神話に持たせたと思います。
呂:出自姜姓炎帝裔子、古諸侯共工氏。
呂氏は炎帝や共工(中国神話に登場する神)の末裔の姜姓である。
※初代炎帝の姓は姜です。
Source:https://kknews.cc/culture/l22g93e.html
遡ると、呂氏は神から派生しています。日本の神話も中国の神話も、神の一部は異民族であり、神化することで異民族混血の痕跡を消し、「神」として絶対的に存在していたという形にするのです。これで異民族の介入を消し、「もともと中華にいた民が中華を統べた」ことを主張出来ることになるのです。
つまり、姜姓(羌族)は、古代イスラエルの血族=異民族なのです。大きな勢力を誇り、呂尚や呂不韋が出てきて、さらには嬴政が中華を統一しましたので、その存在自体は消せませんでした。但し、呂雉の後に呂氏一族は「滅ぼされた」ことにされるのです。
上記の「共工」について言えば、、中国神話に登場する「天下に害をなした四柱の悪神「四罪」の一人」に数えられています。いかに異民族が「災い」であったかを表していますね。
面白いことに、司馬遷が残した「史記」舜本紀では、この四罪が「それぞれ中国において4つの種族」になったと書かれているのです。共工は北狄、驩兜は南蛮、三苗は西戎、鯀は東夷。もうお分かりかと思いますが、確実に「国外から来た異民族」なのです。神に仕立て上げる必要もありません(笑)。
このように「史記」には、国外から来た異民族の痕跡を消すために様々な工夫が施されたと考えて良いと思っています。但し素晴らしい史書であることは疑い有りませんが。
神話については、機会があれば詳しく書きたいと思います。
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