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地理的考察|秦の邯鄲攻略を線で見る
今回は、下記の考察をより深く掘り下げて、秦の邯鄲攻略を「点」ではなく「線」で見ていきたいと思います。
いつもの地理的考察を、線で見ていくと、かなり面白いことが分かります。まずは、広域の地図を。
前回の記事で、私が「平陽」の地が2つあって、どちらも要地であったことを書きました。なぜそうなのかも、今回より深く理解出来ると思います。
秦の首都・咸陽から趙の首都・邯鄲を狙うには、途中で巨大な山脈が邪魔をしています。これが太行山脈です。この山脈を越えることが必要なので、近いようで遠いのです。まさに邯鄲は、自然の要害で守られた陥落させにくい城だったことが分かります。
漫画キングダムでは、この太行山脈を回避するために、山脈の南側・河南省焦作市あたりを「列尾」として登場させています(架空の地名)。つまり、山越えはしていないわけです。
実際はそうだったのでしょうか?実はこのあたりは良く分かってない部分が多いのですが、秦の戦いの歴史を見ていくと…私はズバリ、山越えから邯鄲を狙っていたと思っています。
そのあたりの史実を、少し遡って見ていきます。
✅紀元前262年 秦・王齕が上党(現・長治市)を占領
✅紀元前262~260年 秦・白起、王齕による長平の戦い(現・高平市)
✅紀元前259年 秦による邯鄲攻撃(失敗)
✅紀元前247年 秦、太原郡設置(嫪毐の領地に)。山西省地域の領土化を開始。
✅紀元前246年 太原で反乱が起こり、蒙驁が平定。
こうして見ると、秦は邯鄲攻略のために、上党を含むこのあたり一体の山西省エリアを要地として考えていたのです。実際にここの領土化を開始したのも、まさに邯鄲攻めの拠点とするためです。その証拠に、王齕・白起・蒙驁という秦の名将たちがこぞって参戦しています。
趙としても、ここを取られると邯鄲が脅かされてしまうため、秦と激しい攻防を繰り返していました。その1つが、あの有名な長平の戦いです。ここは現在の高平市にあたりますが、地図で見ると上党(現・長治市)の南にある土地です。
上党は、山と山に囲まれた「守りやすい」要地であり、秦にとっても趙にとっても、どちらがここを占拠するか最重要であったと思います。そして、実際に奪い奪われるということを繰り返してきたことでしょう。その攻防を終わらせるために、白起は趙兵20万人を生き埋めにしたのです。この20万は、上党から逃げた趙兵でした。
<<<Tea Break>>>
ここからは妄想です。
李牧は、間違いなくこの時代の傑物です。秦がいよいよ邯鄲に迫るという時、李牧は反撃し、秦から領土を奪っていきます。その前にも、李牧は秦の領土を奪還していたと考えています。守ってばかりではない。
その地は前述の、上党(長治市)であり、平陽(臨汾市)だった。
どちらの拠点も、秦と趙が長い間、拠点化を競ってきた場所です。秦が一度拠点化に成功しますが、それを李牧が奪い返した。そこに扈輒将軍を送り込み、秦の退路を断った。秦としては「これはマズい…」ということになります。食料と兵士を平陽と上党で確保していたため、ここを奪い返されると、また邯鄲攻略が難しくなる。
そこで、2拠点の奪還に向かったのが機動力に優れる桓騎。桓騎は、白起がこの地でかつてそうしたように、趙兵10万を虐殺します。それは、もう二度とこの地に趙兵が足を踏み入れないようにするためでした。また、反乱を起こさせないためでもありました。虐殺には「最もな理由」があったのです。
しかし、李牧は三度、ここを秦から奪還することになります。それは、紀元前232年の「番吾の戦い」から分かります。秦軍は狼孟と番吾(いずれも太原市)を占領した、とあるのです。つまりこの時、山西省地域を趙が奪還し治めていた証拠でしょう。
✅紀元前234年 桓騎が平陽で趙軍を大敗させ、10万の兵を斬首。
✅紀元前233年 桓騎は上党に進軍、太行山を越えて趙の深部に侵入。赤麗と宜安を占領。
✅紀元前232年 秦は太原市を占領。(ということは、趙に一度奪い返されている)
結局、番吾の戦いでは李牧が秦から再びこのあたりの領土を奪還します。秦は、ついに邯鄲攻略のための要地を死守することが出来なかったわけです。この地の攻防は本当に激しく、ずっと続くことになってしまったのですね。
このような史実の流れから見ても、臨汾市と長治市は要地だったはずです。秦はこの地を奪還・維持することを最終的には諦めて(または諦めたふりをして)、一度戦略を変更するわけです…どういう戦略に変更したのかは、伏せておきます。
智将・王翦が李牧を上回った瞬間でしょう。
この、キングダムでは描かれない、臨汾市と長治市の奪還攻防。史実的にはかなり面白い場面だったでしょうね。秦の領土を最も脅かした国は、趙でした。その中心にいた李牧、そしてその李牧から一度は要地を奪還した桓騎。それをまた奪い返した李牧。2人は史実において名勝負を繰り広げたことでしょう。
本日もお読み頂きありがとうございました。他の記事は下記からお読み頂けます。
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