徳川光圀が影響された『資治通鑑』
あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
『大日本史』を編纂した徳川光圀が多大な影響を受けたとされているのが、中国の『史記』や『資治通鑑』です。今回は資治通鑑について少しまとめてみたいと思います。
下記は、徳川光圀と大日本史について書いた過去記事です。
『資治通鑑』とはどのような特徴の書物なのでしょうか。ポイントを絞ってまとめてみます。
特徴1:全体思想(華夷の別)
中華民族と周辺民族を区別し、漢民族を中国の正統とする考えが「華夷の別」という思想です。
これは、中華(漢民族)を中心とし、周辺の異民族をそれよりも劣位に置く考え方です。この歴史観は、漢民族を中国の正統な支配者と見なし、それ以外の民族を「夷」として区別するものでした。
司馬光はこの視点から歴史を記述し、漢民族が中心となる秩序や道徳的正統性を重視しました。このため、異民族による王朝(例:五胡十六国や北魏など)が中国本土を支配した場合でも、その正統性は低く評価される傾向があります。
特徴2:少数民族の扱い
『資治通鑑』では、少数民族が中国王朝の軍事力として利用される場面が多く記録されています。例えば、晋代の「八王の乱」では、北方や西方の騎馬民族が傭兵として招かれた結果、中国北部で五胡十六国時代が到来し、漢民族の支配が一時的に崩壊しました。
このような記述は、少数民族を「外部からの脅威」として描きつつ、中国社会への影響を強調しています。
さて、この異民族による中国支配(例:五胡十六国や遼・金)の時期についての記述については、当然その正統性が低く評価される傾向にあります。司馬光はこれらの王朝を「正統な中国王朝」とは見なさず、「乱世」の一部として扱っています。
特徴3:注釈で強化された思想
北宋を経て南宋時代に胡三省が付けた注釈では、『資治通鑑』における少数民族や異文化への視点がさらに強調されています。
胡三省は「胡注」を通じて、中国歴史上の少数民族問題や文化的接触について詳細に解説しつつも、漢文化の優越性を前提とした解釈を行っています。つまり、漢民族が正統であり、少数民族・異民族は正統ではないという考え方が強化されました。
漢民族主体の思想
いかがでしょうか。『資治通鑑』は単なる歴史記録ではなく、「政治に資する」ことを目的とした書物です。そのため、記述内容は儒教的な道徳観や政治理念に基づいて選ばれています。特に、君臣関係や秩序維持といった儒教的価値観が強調されており、それが漢民族中心の歴史観と結びついています。つまり、少数民族・異民族は正統ではなく、あくまでも「敵」なのです。
日本の「南朝正統論」がこの偏った「勝者の思想」から生まれたことを、私は疑問視してきました。「南朝正統論」を説いた『大日本史』が真っ先に否定したのが、思想的にも焚書された『日本紀』です。その中でも「呉太伯後裔説」や「北朝説」なのです。南北朝初期に中巌円月が撰進した『日本紀』は、やはり再評価すべきなのではないでしょうか。
倒幕の理念になった『資治通鑑』
最後に。『資治通鑑』の正統論は、やがて日本においても幕末期に尊王攘夷思想と結びつき、徳川幕府を「夷」として非正統視する論理構築に利用されました。
つまり、『資治通鑑』の正統性を信じた徳川光圀は、自ら徳川家を滅ぼす思想を図らずも日本中に広めてしまったのです。何の因果か分かりませんが、『資治通鑑』という勝者の歴史観・思想が、時代の勝者であった徳川家を敗者に追い込んだことは、改めて『大日本史』の罪の部分を再評価せざるを得ないのです。
呉太伯後裔説の『日本紀』と、南朝を正統とした『大日本史』を、今の時代だからこそ改めて考える必要があると思います。