日本で国造りをした周王族
以前、周の王族が「日本に来て勢力地を獲得していった」ということを書きました。
少しぼかして書きましたが、はっきり言いますとこれは「国造り」です。その痕跡は今の日本にも残ってまして、熊本県阿蘇市にある国造神社(こくぞうじんじゃ)もその1つです。呉太伯の子孫により建立されたようですので、ここで祀っている祭神・国造大明神とは呉太伯です。
第十代・崇神天皇(紀元前148年~紀元前30年)の時代に、阿蘇初代国造と定められています。時系列として、呉太伯の末裔が紀元前3世紀までにこの地に渡来していたと考えるのはおかしくありません。
私の考えですが、中国の呉の国の人々が日本に渡来して造った国がこのあたり(阿蘇市)にあった。この阿蘇市から南に下ると人吉市・霧島市が見えてきますが、このあたりで国を造った氏族もいました。
少し整理しますと、阿蘇市=周王朝(姬)の末裔(呉を造った勢力)が国を造った。これを火国と言う。人吉市~栗島市=楚王朝(熊)の末裔が国を造った。これを熊襲と言う。つまり九州は古代中国の氏族がこぞって渡来し、勢力争いを繰り広げた地であったのが分かります。
もしかしたら火国は姬国、熊襲は熊楚だったのかも?
熊襲については下記の記事をご覧ください。
春秋時代の呉はやがて越に滅ぼされ、その越は楚に滅ぼされます。呉も楚も、日本で国を造った。九州の群雄割拠というのは、中国での勢力争いがそのまま移動してきたような印象を受けます。
当然、歴史を遡れば同じ血族にたどり着くわけで、中国の勢力も同祖は一緒、日本も混血が始まってこれが日本の民族ということになって行くわけですね。このあたりの紛争と混血を分かりにくくするために神話が創作されたのだとしたら、それを紐解く1つの鍵はハプロ解析と伝承などを1つ1つパズルのように組み合わせて行く作業が必要だと思います。
神話が事実に基づいているかどうかは別として、創作だということはもう分かっているので、火国が姬国だったとか、熊襲は熊楚だったとか、一見くだらなそうな妄想も符号する点が多ければ完全に間違いとは言えないと思っています。
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