自分を否定している時期も受容段階の中にいるんじゃないかな
今日のスタエフにて
自分を受け入れる
そんな言葉が聞かれるようになりました
嫌な自分や見たくない自分とも向き合って受け入れていくことでより自分になっていく感じかな
長らく私も嫌な自分や見たくない自分を否定している時期がありました
最近、お仕事でキューブラーロスの死の受容モデルやフィンクの危機モデルについて調べることがありました
死や障害を受け入れていくのにも段階があるとしたものなんですが
キューブラーロスの死の受容モデル
https://navi.lyxis.com/article/nursing-education/5-stage-model-by-kubler-ross-and-representative-criticism/
フィンクの危機モデル
https://medical-term.nurse-senka.jp/terms/1377
受容段階の第一ないし第二段階には否認や、否定、現実逃避などのその事象を受け入れられない時期というものがあります
これを見て、嫌な自分や見たくない自分というものを否定する時期というのも、大局で見ると自分を受け入れる過程にもう足を踏み入れているってことなんじゃないかなって思いました
(死や障害の受容と並べるのは違うと思われるかもしれないですけど、私の気づきに繋がったきっかけだと思って読んで頂けるとありがたいです)
だから、自分を否定してしまう時期というのも必要な時期なんじゃないかなと思いました
けれども、死が迫っている人からしたら期限があるわけで、また障害を負った人からしたらそれでも日常は続いていくわけで、どこか受容せざるおえない部分もあるのかもしれません
それに対して、嫌な自分や見たくない自分というものは向き合わなくても最悪暮らしていけるという違いはあるのかもしれないなと感じたりはしました
けど、人間は変化する生き物で同じところに留まる方が難しいから、きっと何かしらの外圧がかかって受け入れていく段階を踏んでいくのではなかろうかと
要は自分を否定する期間も含めて自分を受け入れていく過程にあるんだなと思ったわけです