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親切な刃

「着たかった服が洗濯中で着られなかった。」

3歳児は、そんなささいなことで火がついたように泣く。

対応できるものはする。
やり直せるものはやり直す。

でも、無理なものは無理。

その日、玄関で泣いたのは
「ママが先にくつをはいた。」
という理由だった。

もう一度ぬいで、やり直す。

それでも、すんなり泣き止まない。

それくらいのことだけならしばらくすると、収まることが多い。
たんたんと玄関に鍵をかけ、
だっこして車に乗せる。
泣きながらも、チャイルドシートにすわる。

それから運転席に乗り込もうとするときに、
近所の50代くらいの女性が通りかかった。

「あらあら、保育園に行きたくないって泣いているんでしょ〜?」

「・・・いえ。これから遊びに行くんです。」

ぶっきらぼうに答えてしまった。

その日は土曜日だった。
友だちの親子といっしょに、郊外の大きな公園で遊ぶ約束をしていた。

その50代くらいの女性は、よく声をかけてくれる優しい人だ。

だから、少し失礼な態度だったかなと反省しつつ、
どこか、傷ついていた。

「それは親切な刃というものだね。」

傷ついた感覚を自分で持てあまし、
リアルな友達限定でFacebookに書いたとき、
友達がくれた言葉だ。

そうか。親切な刃なのか。

<親切な声かけだから、傷ついたと思ったりししちゃいけない>

気づかぬところでそんなふうに思っていたのかもしれない。
どんな親切でも、刃となってしまうこともある。

その人が刃を向けたつもりはなかったとしても。

だから、わたしは傷ついたと思ってもいいんだ。

そう思っただけで、すっきりした。

「保育園=子どもを丸投げしている可哀そうな場所
 と思っている、年配の女性は多い多い。」

これも、別の友達のコメント。

「その人たちの思い込みの言葉がけに、
 子どもが小さなころは何度もくじけそうになりました。」

「保育園」→「行きたがらないはず」
「働くお母さん」→「子どもがさびしい思いをしているはず」

という思い込み。

共感を示そうとしたり、
アドバイスをしたりしているつもりの親切な刃

ただ、

少し時間が経って、
その近所の方のことを思い出すと、

本当に私に伝えたかったことは、

「お母さん、大変だね」
「私は理解者だよ」
「あなたたちの味方だよ」

だったのかもしれないなと思えてきた。


その一方で、対照的な別の人のことを思い出した。
仕事でおつきあいのあるやはり50代くらいの女性。

子育てに関してよくアドバイスをくれる、

「子どもちゃん、こんなことはな〜い?」
と聞いてきて、
「ありますあります!」
とエピソードを話すと、
「私もね〜」とご自身の経験談を話してくれる。

いつもその人は、
自身の子育て時の失敗談や自虐ネタを盛り込んで、
私に

「大丈夫よ」

ということを伝えてくれているんだろうな、

・・・と思っていた。

が、いつもその人と話すと、なぜか、あとからジワジワ傷つく

そういえば、
その人は、自身の経験を話した後、
必ず「原因」の話をするのだ。

何か不満があるはず、
意味不明な大泣き(かんしゃく)にもなにか意味があるはず、
etc…

そして、持論を語る。

「保育園に行きたくないというのが、かんしゃくの原因」
「ママだって離れなくないという思いを伝えてあげて」

保育園は楽しんでいる様子だし、
ママだって離れたい(笑)

・・・と言うと、反論が大変なことになりそうなので
大抵はここで「そうですね〜」とにごしておく。

この人の「本当に伝えたいこと」はなんだろう?

私はこれまで、
この人こそ
「大丈夫よ」「理解者だよ」「味方だよ」
を伝えてくれているのだと思っていたが、
なんだか、違うような気がしてきた。

もしかすると、
巧みに
マウンティングというやつをされているのかもしれない。

本人も意識せずに。

「私はあなたの上にいるのよ。仕事でもプライベートでもね。」

ということなのかもしれない。

「本当に伝えたいことを伝える。」
「本当に伝えたいことを読み取る」

まだまだ修行が必要だな、と日々思うばかりだ。

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福井一恵
書いてみたこと、発信してみたこと、 それが少しでもどこかで誰かの「なにか」になるならばありがたい限りです。