AV出演をめぐる「自己決定」について
今の国会で成立の見通しとなっているAV救済法案をめぐって、私のツイッターのTLにはさまざまな意見が飛び交っている。AV業界で性被害にあった女性を支援している方たちは、契約解除についての取り決めだけでなく、コンテンツの内容についても規制が必要だとしている。実際の性交渉や実社会で犯罪にあたるような行為を、認めるべきではないという考えだ。
これに反対する側の意見として目についたのは、コンテンツの規制は表現の自由に反するものであり、出演者の自己決定に任せるべきだというものだ。
発信者のなかにはAV業界で働く女優もいるようだが、多くは視聴者層と見られる。たしかに自分自身のことは自分で決める権利は尊重されるべきだ。で多くの投稿では、「自己決定」という言葉が方便になっているようにも読めて、モヤモヤしてしまった。
以前、AV撮影現場での暴力について初めて知ったとき、「こうしたことがあるのを知っているか」と、身近な若い男性に話すと「妊娠したっておかしくない現場なんだから、覚悟してただろ」という答えが返ってきた。自分で出演を決めたのなら、妊娠も暴力を受けることもしかたないのだろうか…。同じ女性の立場として、絶句してしまった。
そもそも「自己決定」とは何だろう。何の制約もなく、100%自分の意思でできる決定はどれほどあるだろうか。たとえば進路ひとつを選ぶのにも、だれもが家庭の経済状態を気にせず決められるわけではない。ほかのあらゆることについても、自分のこと以外のさまざまな事情を考えたうえで判断せざるを得ないときがあるだろう。「自己決定」が必ずしも本人の本意でないことは往々にしてあると思う。
海外の話になるが、以前の記事でも紹介した、フィリピンのオンライン性風俗店で性的搾取にあった10代の若者は、家族の生活とコロナに感染した母の入院費用をまかなうために、その仕事を引き受けた。当時の心境について、次のように語っている。
「そのとき抱えていた問題のせいかはわからないけれど、私はまともに考えることができなかった。いえるのは、その選択を今でも強く後悔しているということ。もしも、私が貧困の海におぼれていなかったら、私が路上に暮らしていなかったら、支援を受けられていたら、同じ決断をしていただろうか?」
(若者たちがつくった再現ビデオは以下から視聴可能。https://www.youtube.com/watch?v=A4XBzDhTZVQ)
また仮に、100%自分の意思で決めたことについても「こんなはずではなかった」と思うことは誰しもありえる。不可抗力で理不尽な目にあい、心身をすり減らしている人に「自分で決めたのだから」と言うことは、相手を追い詰め、「辛い」という声を上げることもできなくさせてしまう。
本人の意思は尊重されなければならない。けれど「自己決定」は必ずしも本人の希望や満足感と結びついているわけではない。だから自己決定という言葉のもとに、AV業界で起きている性暴力が免罪されるべきではない。今回の法案成立後も、議論を続けていくことが必要だと思う。
撮影現場は、安全管理が徹底されているという当事者の声もあるけれど、現に多数の人が苦痛を訴えていることは事実だ。0か100ではないのではないか。もっともっと開かれた議論が必要だと思う。
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