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「日本とフィリピンを生きる子どもたち―ジャパニーズ・フィリピノ・チルドレン」

ジャパニーズ・フィリピノ・チルドレン(JFC)は、日本人とフィリピン人の親をもつ子どもです。その多くは、父親が日本人、母親がフィリピン人ですが、生後まもなく日本人の父親からの連絡が途絶え、母親とフィリピンに取り残されてしまった子どもが大勢います。または日本のなかでも父親を知らずに生まれ育ち、フィリピン人の母親以外に身寄りなく暮らす子どもが少なくありません。


JFCの出生数が増えたのは、バブル期。フィリピンから出稼ぎに来る女性や、商用や観光でフィリピンに渡る日本人男性が増え、日比の男女の出会いが増えたことが背景にあります。
私は子どものころ、偶然テレビの報道番組でJFCのことを知りました。父親の大半は居所がわからなくなっており、取材班が唯一見つけ出した日本人の男性はこう叫びました。

「そんな子は知らない。相手のミステイクじゃないか」
自分の存在がまちがっている、と実の父親にいわれたら、子どもはどうやって生きていけばいいの? 当時、親との関係が微妙な時期にさしかかっていた私は、どこか他人事とも思えず、ただ悲しかったことを覚えています。

その20年後、私はフィリピンに渡りました。当初の目的は、ストリートチルドレンを支援する施設でボランティアをするためでしたが、私が入居したアパートには、偶然にもJFCのハウスメイトがいました。さらにその後、JFCを支援する日本のNPO、JFCネットワークのスタッフにも出会い、何か運命的なものを感じて、そのフィリピン事務所でJFCに日本語を教えるボランティアも始めました。 

驚いたことに、私が会ったJFCは父親のことを悪くいわず、ただ再会を望んでいました。ある子はお父さんに会えたらまず「ありがとう」と伝えたいといいます。お父さんがいなければ、私は生まれてこなかったから、と。
また、ある女性は日本へ父親をさがしに行き、つかの間の再会を果たしたあとにいいました。「もう一度、お父さんに会えたら『私の娘、がんばっているな』って思ってもらいたい。お父さんの誇りになれるようにがんばります」。

無責任な父親のことを赦そうとし、懸命に生きる姿。そんな彼らの生き様を伝えたい。そんな思いから、帰国後も日本国内のJFCの取材を続けました。その記録を2015年、「日本とフィリピンを生きる子どもたち―ジャパニーズ・フィリピノ・チルドレン」(あけび書房)http://u0u1.net/5JCVとしてまとめ、以後もWebサイトなどに寄稿しています。

Web寄稿記事

インタビュー掲載

現在は、日本のなかでも多くのJFCが暮らし、子どもの貧困やいじめ、搾取労働といった問題に直面しています。社会の都合によって、たくさんの問題を背負わされてきた子どもたち。その声を聞き、伝えていくことができればと思っています。

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