3度目の南三陸は波乱万丈
2011年10月28日(金曜日)
毎月の最後の日曜日に南三陸では福興市を開催していた。それに向けて笠岡を金曜日の夕方に出発。到着は土曜日の朝、約14時間の車での移動だ。運転手は交代だった。
この月は前日の木曜日の夕方まで出発の決定が出なかった。理由は運転手が2人しか居ないから。私は運転手には含まれない。
27日(木曜日)朝 「行く事になりました!」と電話。
『解りました!』と返事をして準備をしてたら
同日の夕方に「今回は勇気を持って辞める事にしました」と電話。
『解りました!』とお返事。
そして1時間くらいして又電話「行くことになりました」
結局男性2名、女性は私一人の3人で南三陸まで車で行くことになった。
翌日金曜日の夕方から出発、途中で休憩を取りながら無事に登米の及善蒲鉾店さんの工場まで到着したときは本当にほっとした。
29日土曜日の10時頃だった。
当時、車は笠岡の社協の車で、ナビもなくスマホの地図を見ながらの移動。今回の運転を引き受けてくれたのはまだ20代の若い男の子だった。彼にとって初めての東北。初めての被災地。それでも一生懸命に運転をして一生懸命に笠岡からの物資(当時は仮設住宅に届ける炬燵や電気ストーブ、電気毛布などが車いっぱいに積まれていた)を届けるために動いてくれた。
登米の工場は増築されながら営業をされていた。
そこから南三陸町志津川に!山内鮮魚店さんでランチを食べた。美味しすぎた!海鮮丼は最高に美味しいのだ。
そこから南三陸町に移動。平成の森にある仮設住宅に行った。
ここは南三陸町の中でも多くの方が住む仮設住宅だ。
集会所のようなテントがあった「カフェ・あずま~れ」と書いてあった。
何かを届けたような気がするか記憶の中にはない。
今回・・・出発が突然すぎて宿泊場所が決まらず、私だけ登米市の望遠閣と言うホテルで一人ぼっちで食事。。。寂しかったけど美味しかった。
その日もいつものようにあっちこっちに挨拶に行き、宿泊。
翌日の10月30日は第7回目の福興市だった。