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続・キムギニョンによるフォニイの歌詞評に疑問

↑こんな記事を1年以上も前に書いたんですが、いまだにポツポツとコメントをいただいていて、それらがとても興味深い内容だったので振り返ってみたいと思います。

この世で造花より綺麗な花は無いわ
何故ならは総ては嘘で出来ている
Antipathy world

『フォニイ』歌詞

キム・ギニョンさんはこのくだりを「蛇足な説明で我慢ならない」と称しているわけですが、その評価が妥当なのか?という点を再び考えてみます。

コメントしてくれた方の名前を出していいのか許可を取ってないので無記名で紹介していきます。

「なぜならば(造花の)総ては嘘で出来ている」と解釈して「蛇足な説明」と評したのではないでしょうか

「総ては嘘で出来ている」が前の事柄の説明であるという解釈と説明でないという解釈のどちらもある程度妥当であるように感じられます。

コメント①

多分ですけどこれって、三島由紀夫の太陽と鉄の
「「文」の原理とは、死は抑圧されつつ私かに動力として利用され、力はひたすら虚妄の構築に捧げられ、生はつねに保留され、ストックされ、死と適度にまぜ合はされ、防腐剤を施され、不気味な永生を保つ芸術作品の制作に費やされることであつた。むしろかう言つたらよからう。「武」とは花と散ることであり、「文」とは不朽の花を育てることだ、と。そして不朽の花とはすなはち造花である。」

ってやつと、金閣寺で語られてた、現実の金閣寺をぶっ壊して(武)、本来そうあるべき理想の金閣寺を守る(文)っていうのを知っていれば、造花が現実のものではないってのはわかるよねってことだと思います!フォニイという言葉から、そこら辺の文学者は連想されるので!

コメント②

私は「造花=正直者」、「花=嘘つき」という比喩表現かと考えています。「花」には「人の心などに誠実さがなく、あだなこと。うわべだけであること。また、そのさま。」という慣習的意味があるので、「造花」はその対義表現かと。

実際そう考えると「総ては嘘で出来ている」というのも、「(身の回りの)総ては嘘で出来ている中でも、正直者は信用できる」という形で解釈できるかと思います。また「造花だけが知っている秘密のフォニイ」というのも、正直者は信用できるから「フォニィ=私」は秘密を打ち明けた、ということかと。

造花は花より綺麗という逆説的な表現かと思いましたが、正直者は嘘つきより善いという当たり前のことを言っていただけかもしれません。

コメント③

各々の意見に対しての僕の見解はコメント欄にて直接返信させていただいています。

この3名の方の意見はそれぞれに妥当性はあると思います。ただそれぞれの意見ともに解釈は若干違っていて、一つの明確な正解があるわけではないんですよね。

そういった解釈、答えの違いを生み出すということはその歌詞に抽象性や奥行きがあるということで、つまりそれは"蛇足な説明"ではない、というのが僕の認識です。

キム・ギニョンさんが姿を消してから1年以上経ちましたが、彼はお笑いAIを完成させたのでしょうか。どなたか知っていたら教えていただけると幸いです。それではまた〜

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