大人同士でも知力に大きな差があることを強く認識すべきだと思う
高知能者のコミュニケーショントラブル: IQが20違うと会話が通じない という本が以前少し話題になった。
内容はあまり科学的根拠に基づいたものではなかったが、しかし読んでいてとても納得できる部分も多かった。
さて、IQが20違う、というのはどのぐらいの差だろうか。
一般的なウェクスラー式知能検査においてはIQの標準偏差は15であるとされている(平均は100)。
したがって先ほどの本は、1.33σほど離れると会話が成立しないと主張しているわけである。
(なお、日本人の平均IQは世界的に見て高い方で、おおよそ105程度だともされている。それに基づくならば、以下の議論は全て5だけ平行移動すればよい。)
IQが正規分布しているとすれば、IQ120以上の人は全体の約9%を占めていることになる。約11人に1人の割合である。
そして正規分布は平均を境に左右対称なので、IQ80以下の人もまた全体の約9%を占めているということになる。
IQが20違うというのがギリギリ話が通じるラインだとすると、上位9%と下位9%は間に通訳となりうるIQの人を挟んでもなお会話が成立しないということになる。
もしくは言い換えれば、IQ100という平均的な人に向けて発信した場合、上下合わせて18%もの人はそれを理解できないのである。
つまりIQが20違うと会話が成立しないというのが真だとすると、思った以上に会話が通じない相手が多いということになるのだ。
今度は学校の勉強に目を向けてみる。教育界には「七五三の法則」と言われるものがあるようで、これは
・小学校の勉強が理解できるのが7割
・中学校の勉強が理解できるのが5割
・高校の勉強が理解できるのが3割
という意味である。
高学歴な人たちは、高校基礎レベルの勉強はみんな分かっているという前提でコミュニケーションを取っている。豊富な知識に高度な思考力を持っているのが「当たり前」のものとしてやり取りをしている。また物事を深く考えるのが当たり前で、そもそも考えようと自覚的に思うまでもなく考えてしまう。
一方で小学校の時点で勉強が分からなくなり、極簡単な計算が出来なかったり、基本的な語彙や歴史、科学の知識がないという人たちも決して少なくないということになる。ちょっとでも難しいことだと思ったら考えるのを放棄し、勉強する人を嘲笑するような文化があったりする。
当然、この二つのコミュニティでは全く異なるコミュニケーションが取られているということになる。話が通じるわけがないのである。前提条件が全然違うのだから。
別にこの話を通して、単に頭の悪い人を馬鹿にしたいというわけではない。
ただ、何かを発信しようと思ったときには、たとえ同じ時代の同じ国で、同じ言語を使う同世代の間でさえもなお全く話が通じないことが多々あるのだということを認識しておかなければならないということが言いたいのである。
例えば昨今のコロナ禍において、政治家その他が国民全体に対して何かを訴えかけるという機会が増えた。またコロナはただの風邪だとか、ノーマスク運動だとか、反ワクチンだとか、そういうことを言い出す人たちも多い。
こういう状況において、全体に対して同じことを言っても仕方が無いと思うのだ。仮に平均的日本人に対して訴えても上下18%には届かないし、特に非合理的な言動・行動を好む層に対して「IQ100向け」とか「高校レベルの勉強が理解できる知力を持っている人向け」の発言をしても受け取ってもらえるわけがないのである。
人は自然と知的階級の近い人たちと集まる傾向がある。
それは社会構造として例えば高学歴な人は高学歴が集まる企業・業種に就きやすいし、プライベートでも会話が成り立たない人とはそもそも付き合わないからである。
だから大抵の場合、自分が属する集団においてはそれほど知的な差を意識しなくても普通にコミュニケーションが取れる。
しかし、例えば影響力のある人(政治家など)が広く呼び掛ける場合や、もしくはSNSのようなあらゆる知的階級の人が集まる場では、こういう意識はきちんと持っておかないといけないと思う。特に自分とは知的階級の異なる相手に訴えかけるときは本当にこれで通じるのかと考えた方がいいし、場合によっては「通じないのはしょうがない」と諦めるのも一つの手だと思う。どんなに頑張って訴えても通じる日は来ないのだから。